大手版元の既得権。

mizunowa2008-02-26

【写真】
いつまでも片付かん、ワシの机廻り。


【大手版元の既得権】
けふ26日付の朝日新聞文化面(大阪本社版)に「民事再生法による再建手続き中の出版社、草思社を応援する動きが書店に広がっている」といふ記事が出た。記事の詳細は端折るが、聞き捨て(読み捨て?)ならぬ箇所が一つ目に付いたので、ここに記す。
記事の末尾のほうに、次の記述がある。

出版社は新刊を出すと取次から前払い金が入るが、返本が多いと最終的に過払いが発生し、それを埋めるためにもまた新刊を出す。

「新刊を出すと取次から前払い金が入る」――それは、大手出版社だけである。ウチらみたいな零細版元には、ビタ一文とて入りはしない。あたかも世間の出版社が全てさうであるかのように書かれては困る。
雑把に云へば、「委託品」は納品半年後にその間の返品数を差し引いた分が精算され、「注文品」は納品2ヵ月後に精算されることになっている(これは一旦「売れた」ことにして取次が版元に支払っているだけであり、勿論あとから返品がくる。その分は毎月の支払額から差引かれることになる。出版業界で取次を「銀行」に喩える所以、である)。たとえば地方・小出版流通センター扱いの場合。地方小からトーハン、日販、大阪屋などの取次を通して全国の主要書店に新刊ビラを配布してもらえば、モノによってはある程度「見込注文」が入る。それが確実に売れてくれたらええ。でも、「注文買切品」といいながらも、現実には返品がくる。人文書なんて、いっぺんにどかっと売れるやうなものではない。棚に並べてある程度ゆっくり目に様子をみてもらう必要があるのだが、最近は書店さんにその余裕が無くなってきたこともあり、売れなければちゃっちゃと返品してくる。こんなことだから、売れないものがますます売れなくなってしまう。
で、「見込注文」について。返品のリスクを軽減するために、「見込注文」分すべてを「注文品」扱いにせず、半分くらい、場合によっては半分以上「委託品」扱いにして地方小に納める(精算が遅いかわりに、半年間書店、取次からの返品の様子をみる分だけ、「注文品」ほどには過払いが生じにくい)。そこは担当さんの経験則もあって相談のうえで決めるのだが、そこのところを慎重にかからなければ、「見込注文」で「わーい売れた売れた」と喜んでいたのでは、あとからひっくり返されたときが怖い。年がら年中こんな神経戦をやっているのは、もちろんウチだけではない。

版元にとって新刊を出すといふことはすなわち、印刷代等の借金を一時的に増やすことを意味する。可及的速やかに売れてくれたらええけど、売れへんかった場合は焦げ付いてしまう。出したい本は多かれどなかなか思うようにいかないのは、そこのところの事情もある。「新刊を出すと取次から前払い金が入る」大手みたいに金融商品よろしくばっかばっかと出しまくるわけにはいかない。だからといって新刊を出すのを止めてしまえば、目先の新たな借金は生じないが、新しい本が出ないことによって過去の刊行物もまた動かなくなっていく。商いと人生は止まらない列車、そこのところが困りものなのである。

朝日の記事は、続いてこう記す。

草思社の新刊も90年代前半は50点前後だったが、昨年度は過去最多の108点にまで急増した。

要するに、新刊を作る→取次から前払いが入る→目先の経費が埋まる→しかし本は期待したほどには売れん→大量の返品がくる→過払いが生じる→放っていたのでは過払い分を差し引かれてしまう。下手するとマイナスが出る→それを埋め合わすために、ますます新刊を水増しする→取次から前払いが入る→→→以下、堂々巡りといふやつ、である。


このこと一つを以てして諸悪の根源とまでは云わぬが(もっと酷い話は山ほどある)、明らかに大手の既得権といふか横暴といふか、アンフェアな、悪しき商慣習である。こんなんやめてまえってなもんだが、恩恵に与っている側にとってなかなか結構なものなのか、これをやめようではないかなんていった話は、少なくとも私は聞いたことがない。