海の民

mizunowa2006-07-20

【写真】
左から沖家室島、大水無瀬島、小水無瀬島。後方は四国。


【7月14日】
絶好のお掃除日和。朝の7時から自治会あげて群山(クンサン)の家のお掃除ということで、午前10時頃まで住職は手が離せず。少しばかり寝坊させてもらい、鯛狸(=^・^=)さんとこで朝メシをよばれたあと、お寺周辺の写真を撮って歩く。

カムロ用語。いきなり群山と云っても何のことかわからないだろう。戦前、日本の植民地だった朝鮮半島の群山に住んでいたことから、その一家を指して島では群山と呼ぶ。屋号とか姓ではない。開島400年にあたり、空き家になっている家屋敷を島のセミナーハウスみたく寺と自治会で活用してほしいということで提供を受け、今回のお掃除と相成った次第。
北部九州から壱岐対馬、そして朝鮮、台湾、ハワイ等々に枝村を作った移民の島。うちの系統は戦前朝鮮に住んでいて、群山も父方の親戚筋にあたる。特定の一家を移住先の地名で呼ぶのは他にもあり、たとえば、戦前朝鮮の鉄原(チョルウォン)にいたおばさんを「テツゲンのおばさん」と呼んでいたりした。

朝鮮とのかかわりで云えば、お金持ちを指す言葉に、沖家室島では「ヤンバン」というのがある。朝鮮語両班(ヤンバン)からきた、という。これについては2月9日付ブログに記した。また、朝鮮と父方の実家とのかかわりについては、ウチのサイト内コラム「島びと三代の記」(中国新聞文化面連載「緑地帯」に加筆訂正)に少しばかり記したので、ご一読頂けますれば幸い。
http://www.mizunowa.com/column/n-column.html

住職外出のため、本日は午後2時前に解散。海から見た島の写真をおさえるべく、カムロ放送局ことペ・ヨコチンに漁船を出してもらう。漁船に乗せてもらうのは20数年ぶりだ。島の全景をおさえるため、本浦の漁港からまっすぐ沖に出る。右手に大水無瀬島、小水無瀬島、前方に片島、愛媛県二神島、由利島、これらの先に四国が見える。針路を西にとり洲崎沖から沖家室大橋をくぐって島の南海岸に廻る。平郡島がものすごく近くに見える。
――こりゃあ平郡かね。こっから見ると意外と近いもんですのんた。
――はぁ。近こう見えるが、こっから30分はかかるど。

どの本に収録されていたのかすぐに思い出せないのだが、周防大島の過ぎ去りし日を描いた宮本常一の文章にこんなくだりがある。
――オッサンら数人いきなり姿を消した。再々あることなのではじめは心配していなかったのだが、音信不通が数日も続くと流石に部落の者も心配しはじめた。そこに連中ひょっこり帰ってきよった。聞くと、海を眺めていたらええ気持になってそこに居合せた者で船を漕ぎ出した。宮島さんにお詣りしたら、この際出雲大社にも詣ってこうという話になって、そのまま行って帰ってきた、と。
漁師だった母方の祖父も、ふらっといなくなることが時々あったと聞く。海の民のもつ、独特の距離感とか世界観といったものか――。かむろの海で波に揺られながらふとそんなことを想った。