
画像=周防大島町久賀、鶴田書店の棚。
農民文学者住井すゑの名言を思い出した。
「憲法を変えるなら「ウソつくな」の1条だけでよい」
「憲法の条文が103条もあるもんだから、あいつら政治家バカばっかだから読んでも理解できない。「ウツつくな」の1条だけにすれば、中曽根なんてヤツが如何に憲法違反のインチキ野郎かわかる」
4ヶ月経ってしまったが、あほ息子の小学校卒業式での保護者代表謝辞、以下の通り。
卒業生保護者を代表して謝辞を述べさせていただきます。
先生方、地域の方々。子供たちを6年間見守っていただき、ありがとうございました。子供たちが地域の学校に通う、かつては日本中どこへ行っても当り前に見られた風景でしたが、市町村合併と少子化により学校の統廃合が進み、ことに島嶼部や山村にあっては学校が存続していること自体が珍しくなってしまった昨今にあっては、安下庄の毎朝の風景は貴重なものであると言えましょう。子供が消えた地域は灯が消えたようだ、といわれます。細々とではあっても、この安下庄の地に、これからも小学校があり続けていくことを願ってやみません。
子供を学校に送り出す親として、心配は尽きませんでした。交通事故にあいはしないだろうか、川に落ちたりしないだろうか、考えだせばキリがありませんが、無事に行って無事に帰ってきておくれ、そう念じて学校に送り出してきました。
小学校の6年間は子供が親の手を離れる第一歩、大人へと変わっていく子供たちのこれからの長い人生を思えば、いつまでも親が手を引いて歩くわけにはいかないとわかってはいるのですが、親というものはおそらく死ぬかボケるまで子供を案じ続けるのでしょうし、私の親も、そのまた親も同様だったのでしょう。自身が人の親になってわかったことの一つです。
先生方、地域のみなさんの見守りのお陰で、6年間、一人の子供も欠けることなく、卒業の日を迎えることができました。重ねて御礼申し上げます。
さて。卒業生が4年生の時、3・4年生合同のみかんの総合学習で1年間、ほぼ月イチで農薬撒布以外の現場作業、学期ごとに2回程度の座学を行いました。肥料の三大要素、人間でいうところの三大栄養素にあたる窒素、リン、カリの由来を、作業現場で説明しました。みかん肥料の窒素とリンは魚粕、これは島根県浜田漁港で水揚げ、広島、岡山の工場で加工したもの。国産です。でも、魚をとりに行く漁船の船体となるFRP(繊維強化プラスチック)は石油由来、資材を運ぶトラックの資材としての鉄鋼、燃料、すべて輸入です。塩化カリ鉱石は日本では採掘できずすべて輸入。中国、ロシアなど、国際関係上難しい国が相手です。人口増加による途上国の需要増と、ウクライナの戦争の影響もあって、肥料価格が高騰し、世界の国の間で肥料の奪い合いにもなっている。海の向こうの戦争が、この島にも影響を及ぼす。島に暮らしていても私たちはグローバル化と無縁ではないのだ。地域の産業から世界の動きまで学べる。戦争が続けば農業も安定して続けることができないのだ。歴史につながる現代社会の問題として授業を行いました。
みかん学習の最後のまとめとして、一昨年の春休みに全員集まってもらい、オカジョウの畑に寿太郎温州みかんの苗木を植えました。担任のH先生のおじいさんが大工さんで、腐食に強い桜の木をカットして提供してくださり、みかんの木に掛ける名札を作りました。苗木は2人1班で1本ずつ植えました。みかんの苗木がまだ小さく、風で飛ばされてはいけないので、名札は我が家で保管しています。この木から収穫できるのは卒業生が高校に入る頃になろうかと思います。その日を楽しみに、みかんの管理を続けていきたいと思います。
最後に一つ。
やはり、この子たちの未来を案じてしまいます。少子高齢化と人口の偏在による担い手不足、そして急激な気候変動により食糧生産が危機に陥っています。大島の基幹産業として位置づけられてきたみかん生産も、先行きが危ぶまれています。歴史をひもとけば、食糧危機こそ戦争の引き金です。基本的人権の尊重、戦争の放棄、戦力の不保持などをうたった憲法のおかげで、この80年間、アメリカの核の傘の下にありましたが、欺瞞的とはいえ戦争をしてこなかった。たったの一度も他国の人を兵器で殺さなかった。誇るべき昨日を持てぬこの国にあって、80年間戦争をしてこなかったという誇るべき今日がある。学問の世界に自身の存在証明を見出し、人文歴史社会を学ぶことを生業としてきたなかで、私はそう考えるようになりました。憲法を変えようという流れが強まり、世界中で核武装が拡大され、海の向こうの戦争が終わらない、いまの時世にあって、この子たちが将来、戦争に巻き込まれるようなことがあってはならぬと考えます。
民俗学とは何かと問われて、日本の民俗学の創始者である柳田國男は、こうこたえました。この国土にかつていた者たち、今いる者たち、そして、これからやって来る者たちのために行われる学問である。すべての学問が、この一点に行き着くとおもいます。いまここにいる子供たち、これからやってくる子供たちの未来のためにも、先生方には、困難であっても気張ってほしい。家庭にあっては親の責任ですが、学校という場にあって子供たちを守り、戦争の人類悪、平和と人権の尊さをしっかりと教え諭すこと、それは、先生方だけが頼りです。いまここにいる子供たち、これからやって来る子供たちの未来のために、先生方へのエールという形で、謝辞といたします。