ぶっコワれている……。

mizunowa2008-06-19

【写真】
お江戸の初夏の風物詩、谷中生姜。生のまんま味噌をつけて食す。安くて旨い。14、15日と仕事で千葉に出掛けた折に買うて帰った。兵庫区の東山市場で見かけたと聞いたことはあるが、私は関西では一度も見たことがない。


【腰痛ついに4週間目に突入】
いまだぴりっとしない。机に向って仕事ができるくらいに戻ってはきたが……。
14、15日の出張は一寸キツかった。何がって新幹線ですワ。同じ姿勢で坐り続けるのがタイヘンなんですよ、腰痛持ちは。まだ立っとるほうがラクだったりする。こんな時は3人掛け席を占拠して横になるに限る。あまりの狭苦しさに誰も褒めるヤツのいない新幹線の3人掛け席が心底有り難いと思えるのは、ほんま、こんな時だけですわな。


【ぶっコワれている】
郷里のネタを仕入れる目的もあって、郵送で中国新聞を購読している。共同の配信記事でオモロイのがいくつかあって、それもまた目的だったりする。
メディア批評誌「創」篠田博之編集長のコラム「週刊誌を読む」もその一つ、である。17日付は、秋葉原の殺傷事件現場で、ケータイでぢかめで撮影するバカどもがてんこ盛り居った、といふことについて触れている。「写真なんか撮るな!」と怒るポリさんも、あまりの人の多さに震えていた。でも、誰もやめようとしない。しかも、撮影している同士で写真を見せ合っていたという(「女性セブン」6月26日号)。現場で友人2人を殺された学生さんのコメントは「(前略)“不謹慎だから止めてください!”そうはっきり僕は言った。でもみんな止めようともしない」(「週刊新潮」6月19日号)。


神戸の連続児童殺人事件の折にも、生首が置かれた友が丘中学校前からのテレビの生中継の最中に、大勢のガキどもがピースサインやケータイでぢかめをかざして中継が成り立たなくなったことがある(果たして中継自体に何の必然があったんかいな……といふ問題はあるけれども、ここではふれない)。趙博兄は「夢・葬送――浪花の唄う巨人・パギやんSong Book」(小社刊)収録のエッセイで、こう綴る。

(前略)そして、現場のレポーターも、スタジオのコメンテーターも、ガキどもに一言も怒らなかったことだ。僕なら「人が死んでるんだぞ、お前ら恥ずかしくないのか!」と一喝するだろう。「帰れ、バカども!」と吼えまくるだろう。こんな為体のマスコミに、戦争批判ができるはずなど毫もないのだ。
(「路地裏から世界を覗けば、旅空に今日も雨」)


ぶっコワれている。イルボンといふ国家と、この国のコクミンは……。