甘夏。左は良玉、右は選外品。取得2年目の農地、前耕作者から引き継いだ6本にかいよう病が発生していた。おそらく1年2年で発生したものではなかろう、かなりの範囲に病斑が広がっていたため、昨年1年間の防除で完全に抑え込むことができず、今年の収穫では選外品が多発する結果となった(それでも防除の甲斐あって去年よりはるかにマシな仕上がりではある)。
甘夏にせよ八朔にせよイヨカンにせよ、都会のスーパーで買えば結構な値段とられるが、農協の生産者精算価格はナメとんか?と思えるほどに馬鹿安く、これでは農家の日当どころか肥料農薬燃料代も出ない。大島の言葉で「せぇがねえ」とは、このことを指して言う。
禄を失った旧萩藩士族の授産事業として夏みかん(くそがつくほど酸っぱい。今となっては希少品種)の栽培が導入されたのは、武士の農法よろしく手をかけなくても毎年実がなるという一面がある。とはいえ、糖が乗って酸味の効いた、味の濃厚な甘夏(品種名は川野夏橙。在来の夏みかんの枝変わり=突然変異=によるもの)は、言っちゃあ悪いが、武士の農法では作れない。きちんと作ったものとそうでないものとの違いは大きい。
原初の、学校――夜間定時制、湊川高校の九十年
著者 登尾明彦
発行 みずのわ出版
装幀 林哲夫
発行日 2019年12月25日
体裁 A5判角背糸篝上製本263頁
印刷 (株)山田写真製版所
製本 (株)渋谷文泉閣
定価 税込2,970円(本体2,700円+税270円)ISBN978-4-86426-039-8
[まえがき]
須磨浦に夕陽が沈むころ、新湊川の向かいの、なだらかな坂の上に建っている鉄筋コンクリイト造りの旧い校舎の校門ふきんに、毎夕、どこからともなく中学生が現れ、走り回る。小学生も、無職の青年も引き連れて、校内を徘徊する。すると、
――何しに来たのだ。無断で入って来るな。
見回りの教師が誰何し、決まってひと悶着がおきる。中学校の進学体制から弾き出された生徒たち。下校後も居場所はなく、どの家も夏場は蒸し風呂のようだ。冬は凍てつくような寒さの住宅事情に耐えかねて、自ずと戸外へ走り出る。小遣い銭もなく、行く当てとてない。狭い路地を通り抜けると、そこは湊川高校。同一校舎なのに、午後五時までは兵庫高校の管理下だ。
――お前らは、どこから来たのか。ここは遊び場と違う。
兵庫高校の教員の威圧感は、生徒たちに敵愾心をあおる。
――俺らは、近所のもんや。おっさん、何もんや。ポリ公と違うか。
兵庫高校の教師だと聴いて、
――湊川の先生やと思うたから、おとなしい聞いとったけど、兵庫の先公なら承知でけへん。何どう、おっさん。
――それはどこの言葉か。
――番町や。
――番町いうて、どこか。
――やかましい。
中学生たちは、臆することはない。ほとんどが部落出身、在日韓国朝鮮人の生徒だ。校外に追い出そうとする教師に負けまいと、精一杯の強がりを放つ。いかにも大人びた口ぶり。
出典は、番町地区戦後解放運動資料。ざら紙にガリ版刷りのビラ。部落解放同盟番町支部が兵庫高校長に宛てた抗議文(一九六七年六月)。このくだりを私は何度も読み返す。そしてそのつど吹き出す。だが、この「生意気な」部外者を取り締まる教員には、昨晩も、今夜も、この光景は腹立たしい限りだろう。警察に通報して、決着をつけようと懸命だ。小中学生たちは公共物侵入の現行犯として長田署に連行されるが、教育問題が警察問題にすり替わるだけで、問題はいっこうに解決されない。
ところが湊川高校だけは、対応が違った。
そして、一九七〇年代。高校進学率は高まり、定時制高校は困難な生活歴を有する生徒が多数を占める。大方は粗暴、低学力と受け取られがちだが、実際はまったくこれに反し、知性の高い生徒も少なくない。しかし定時制高校のこの実情は、正しく伝えられていない。私に言わすれば、定時制高校こそ学校であり、定時制には、そこでしか取り出されることのない生徒像が満載だ。実質はまさしく学校の、原初の姿を留めている。同和対策事業特別措置法の施行とともに、部落を初めとする、底辺層の生徒に寄り添った教育が展開された。
だが八〇年代には部落解放同盟に敵対する兵庫県高等学校教職員組合(兵高教組)との抗争に翻弄され、行政の反撃も熾烈を極めた。九〇年代には同和対策の法切れに裏打ちされるようにして、生徒に焦点を当てた教育活動も翳りを見せる。世紀が変わり、二〇一〇年代になると、教育効率が優先され、管理教育が強化される。兵庫でおこった解放教育実践は、もはや跡形もない。湊川高校でさえそうなのだから、他は推して知るべしだ。
七〇年代、湊川高校を起点にいっせいに取り組まれた教育運動。あれはいったい何であったか。今となれば、壮大な実験であったというしかない。あの烈しい闘い、茹だるようなあの夏の日を、書き残しておかなければならない。あったことを、なかったことにはできない。
そのため、湊川高校を訪ねて、その軌跡を追ってみよう。むろんその中には私も登場するが、私については、案内人として顔を出す程度に留めるつもりだ。なお、できるだけ客観的な記述となるよう心掛けるが、引用を多用し、読み手の煩わしさを避けるため、私の地の文に繋げて記した箇所も少なくない。そのことを予め、了解を得ておきたい。
[目次]
まえがき
序章 私の、原点
神戸、長田という町/アジアとの接点/決断を迫られる
第一章 教学の、根本を問う
1 湊川事件
育友会事件とは/県教委、全生徒に謝罪
2 一斉糾弾の嵐
積年の怨念がほとばしる/三次入試/学校とは何か、教育とは何か
3 差別と向き合う
撃ち続ける生徒/験される教師/糾され、糾す/生徒を守る教師集団であること/親の話を聴く、職場を訪ねる/管理職人事拒否闘争
4 授業の中身が問われる
教室に入る、机の前に座る/生活経験に即した授業/期末考査ボイコット事件/基礎授業の開始/自主教材の編成
5 〈朝鮮人〉として生きる
朝問研活動の始まり/本名を名乗って生きる/日本の中の朝鮮文化を訪ねる/
6 朝鮮語授業の開講
なぜ朝鮮語か/朝鮮語授業が根づいていくためには
プロムナアド1 湊川の正と負
第二章 就学条件の、保障
1 就学条件の整備
定時制の授業料が全廃/各種奨学金の受給と国籍条項の撤廃
2 就職差別反対闘争に係わる
就職指導から進路保障へ/国と自治体と企業の就職差別事件
3 通就学保障闘争の展開
定時制通学可の虚偽を問う/看護婦生徒の通学保障を求める/闘いは神戸、阪神間の定通高校を横断
4 卒業と、進学と
神戸市外大二部推薦入学制度をめぐって/湊川を卒業するということは
5 入学の門戸を広く開く
湊川は最後の学校/年配者の入学/聾者の受け入れ/手話研究部の活動
6 存続の条件
米飯給食の実施/熱い心の教師集団であること
プロムナアド2 定時制高校の授業(時間帯)
第三章 授業が変わる、生徒が変わる
1 林竹二との出会い
「奇跡がおきた」/林竹二が突きつけたもの
2 授業創造の営み
教学体制の刷新/進度別授業から一斉授業へ
3 授業と自主活動の結びつき
進級留保生学級/劇「川向う」
4 竹内スタジオの来演
授業と劇と/一夜だけの芝居空間/湊川は、多くの人たちに助けられてきた
5 湊川における授業とは
公開授業研究の季節/授業で生徒を組織する
6 鍛え、鍛えられる生徒集団を作る
自主活動の営み/部活動・総合表現活動
7 学校が全体として押し上がっていくこと
生活体験を語る/公開討論集会
プロムナアド3 湊川、定時制高校の実験
第四章 停滞の季節を、超える
1 解放教育運動を先導する
兵高教組が切り拓いてきたもの/他団体、周りの教育機関との関係
2 内外からの包囲にさらされる
県政の右傾化/兵高教組の変節/教育荒廃を招いたのはだれか
3 定時制生徒への締めつけが始まる
管理体制の強化/学級減・統廃合、授業料再徴収
4 危機を迎え撃つ
生徒を呼び集める/訪問指導部活動/のじぎく学級の開設/創立五十周年記念祭
5 孤高をつらぬく
後退を迫られる/湊川高校の評価
6 辛うじて、生き残る
負の清算/持ちこたえてきたもの
プロムナアド4 定時制、その初期のころ
第五章 夜学の、開設
1 湊川創立
夜間中学講習所の開設/夜間中学と改称
2 戦時下の夜学
灯火管制/二中夜間の選良意識
プロムナアド5 部落研の創部はいつか
第六章 自由自治の、時代
1 定時制高校の発足
学制改革/勤労青少年の教育機関
2 自由自治の学校
定時制高校の推移/自由自治の学校
3 働く青年たちの群れ
名ばかりの定時制/生徒の安全と健康
4 施設設備の要求
完全給食の実現/暖房設備の獲得
5 部落研活動の始まり
出自を明らかにして生きる/番町地区改善運動との係わり
6 生徒の声、地域の願いに応える
落第生教室/校外生教室
プロムナアド6 兵夜高連について
第七章 湊川高校は、今
1 湊川高校と兵庫高校
兵庫高校との確執/校舎改築問題
2 隣国理解を深める
中国語・ハングル講座/韓国修学旅行
3 生涯学習の場として
いきいき識字教室/地域に開かれた学校
4 阪神・淡路大震災と湊川高校
三千人の避難所となる/震災から学んだこと
5 夢を、夢のままにしない
「故郷の家・神戸」の誕生/外国人教員の任用の問題/差別は、無知から
プロムナアド7 福地幸造の仕事
終章 定時制の、あるべき姿
1 湊川の、これから
定時制のあるべき姿を模索する/なくてはならない学校
2 原初の学校
教師の資質/生徒の条件
付録
湊川高校年表
参考文献
あとがき
[著者]
登尾明彦(のぼりお・あきひこ)
1943年、京都府生まれ。立命館大学卒業。1969年より兵庫県立湊川高等学校勤務。2004年退職。一人雑誌『パンの木』(月刊)発行。 詩集『パンと貝殻』(私家版)、『パンの木』(みずのわ出版)、単著『湊川、私の学校』(草風館)、『湊川を、歩く』『それは、湊川から始まった』(みずのわ出版)、共著『はるかなる波濤』(明治図書)、『授業が生きる光となる』(国土社)など。
[用紙/刷色]
カバー NTほそおりGA スノーホワイト 四六判Y目130kg スーパーブラック/1°
表紙 NTほそおりGA うす鼠 四六判Y目100kg K/1°
見返し NTほそおりGA スノーホワイト 四六判Y目130kg
別丁扉 NTほそおりGA スノーホワイト 四六判Y目80kg DIC515/1°
本文 オペラクリームマックス A判T目39.5kg
ヘドバン A8(濃赤)
スピン A5(濃い赤)
詩人は未完である(鈴木創士)―9月29日付神戸新聞より。
■
一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦
四六判コデックス装 239頁 図版64点(ほぼ全点カラー)+栞16頁
10%税込2,970円(本体2,700円)ISBN978-4-86426-038-1 C0095
初版第一刷2019年8月15日発行
編=季村敏夫
発行=みずのわ出版
装幀=林哲夫
プリンティングディレクション=黒田典孝((株)山田写真製版所)
印刷=(株)山田写真製版所
製本=(株)渋谷文泉閣
■はじめに(本書3~4頁収録)
かつてあったことは、後に繰り返される。殺戮、破壊、錯誤、懺悔、その重なりのなかで、身体の刻む詩的行為の火、花、火力は現在である。
上梓のきっかけは、一冊の同人誌と映画との出会いだった。小林武雄編集の『噩神(がくしん)』創刊号で矢向季子を知った。身震いした。映画は、日本統治下の台南の詩人を描く『日曜日の散歩者』(黄亞歴監督)。台湾を襲った地震の映像のあと、同人誌『神戸詩人』が迫ってきた。西脇順三郎らの『馥郁タル火夫ヨ』から引用があり、明るさの戻った部屋で茫然としていた。「現実の世界は脳髄にすぎない」「詩は脳髄を燃焼せしむるものである。こゝに火花として又は火力としての詩がある」、わたしはあらためて、戦時下の詩をたどりはじめていた。
同人誌と映画との遭遇が、次から次へと出会いを導いてくれた。平坦ではなかったが、みえない数珠のつながる道のり、促されるまま従った。
かつてあったことは、後に繰り返される。一九三〇年代後半、シュルレアリスムに関わった青年は治安維持法違反容疑で次々と獄舎に送られた。神戸詩人事件はそのひとつだが、現在である。今回編集した矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦、初めて知る詩人だが、このラインにも、シュルレアリスムへの目覚め、総力戦、同人誌活動の終焉、モダニストの戦争詩という歴史がある。しかも三人は番外の詩人、一冊の詩集もないまま消えた。
あるとき、ある場所で、確かに生きていたひと。詩は、息のひびき。声を出して読めば、ひとはよみがえる。生きていた場所、場所の記憶、青空に染まる歓声まで戻ってくる。
消えてしまった、たましいをよびよせる、この集を編みながら念じていた。
(「がく神」の「がく」の漢字は環境依存文字ゆえ、パソコンによっては正しく表示されない場合があります)
■目次
*
矢向季子詩集抄/隼橋登美子詩集抄/冬澤弦詩集抄
*
「夜の声」読後感(矢向季子)/詩をよみはじめた頃(内田豊清)
*
内田豊清のこと/矢向季子のこと―シュルレアリスムの目覚め/隼橋登美子のこと―神戸詩人事件について/冬澤弦のこと/『神戸詩人』と台南の風車詩社について―石ほどには沈黙を知らず
*
初出一覧/関連年譜
■栞(16頁)
天使は肉声でうたう 藤原安紀子
遠くに書く―モダニズム詩所感 扉野良人
「しんぼるの森林」に分け入る 高木 彬
■編者
季村敏夫 きむら・としお
一九四八年京都市生まれ。神戸市長田区で育つ。古物古書籍商を経て現在アルミ材料商を営む。著書に詩集『木端微塵』(二〇〇四年、書肆山田、山本健吉文学賞)、『ノミトビヒヨシマルの独言』(二〇一一年、書肆山田、現代詩花椿賞)、共編『生者と死者のほとり――阪神大震災・記憶のための試み』(一九九七年、人文書院)、共著『記憶表現論』(二〇〇九年、昭和堂)、『山上の蜘蛛――神戸モダニズムと海港都市ノート』(二〇〇九年、みずのわ出版、小野十三郎特別賞)、編著『神戸のモダニズムⅡ』(二〇一三年、都市モダニズム詩誌、第二七巻、ゆまに書房)など。
◆仕様
四六判(天地188mm×左右127mm)コデックス装 240頁
表紙 あらじま 白 四六判Y目180kg 表1凹エンボス 表4 K/1°
オビ あらじま 雪 四六判Y目80kg DIC435/1°
本文 b7バルキー 四六判Y目 64.5kg 表版4°/裏版1°
栞 A6変型判(天地148mm×左右100mm)16頁
ファーストヴィンテージ ベージュ 四六判Y目56kg K/1°
ニンニク産直ご案内。
各位
旱魃が一転して秋雨となりました。お変りありませんでしょうか。産直のご案内をお送りします。
今回は、5月31日と6月1日に収穫後およそ3ヶ月寝かした無農薬ニンニクを販売します。ニンニクは収穫後すぐに食べられるのですが、倉庫で寝かせることで余分な水分が飛び、貯蔵性が増します。といっても、秋が深まるころには中の芽が大きくなり、年末から年明けの頃にはしなびてきますので、10月ころまでに使い切れない分はスライスして冷凍保存されることをお勧めします。
1函あたり12~14ヶで800g、2,000円+送料、での販売です。4函限定となります。数に限りがありますので、お早目のご注文をお願いいたします。
2019年8月24日
みずのわ農園 代表 柳原一徳 拝
■
ニンニク 800g(12~14ヶ)2,000円
■
送料
中国・九州・関西 540円
四国・中部・北陸 648円
関東・信越 756円
東北 972円
北海道 1,620円
沖縄 1,296円
■
郵便振替用紙同梱でお送りします(恐れ入りますが振替手数料ご負担願います)。
ゆうちょ口座(その月の1回目のみ手数料無料)あて送金をご希望の方はお知らせ下さい。
一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦
各位
今年の夏も異常に暑い日が続きますが、お変りありませんでしょうか。
今年二点目の新刊「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」(季村敏夫編)を刊行します。
小社が関わった神戸モダニズム詩史としては、「永田助太郎と戦争と音楽」(編集=季村敏夫・扉野良人、発行=震災・まちのアーカイブ、製作=みずのわ出版、2009年6月)、「山上の蜘蛛―神戸モダニズムと海港都市ノート」(季村敏夫著、2009年9月)、「窓の微風―モダニズム詩断層」(同、2010年8月)の続編に位置付けられます。
戦時下の神戸と姫路に生き、一冊の詩集も遺すことなく消えた三人の詩人の原石といえる詩篇を収録。かれらの関わった同人誌の人脈から総力戦体制下の文芸活動を検証し、治安維持法違反容疑で詩人17名が一斉検挙された神戸詩人事件(1940年3月3日払暁)の背景と今日的課題を明らかにすべく、今回刊行の運びとなりました。刊行の趣旨につきましては、本書「はじめに」全文を転載しますのでご一読願います。
なお、本書は600部の少部数限定出版、いわゆる自費出版物です。高額なれど本書を必要不可欠とする読者の求めやすい価格という編者の要望もあり、仮に全部数を定価で販売しても制作費全額は回収できない、そういった価格設定となっております。編者著者が肚を括らなければまともな本を遺すことができない、そんな時世でもあります。
8月15~25日頃出来予定、です。ご購読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
2019年8月5日
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一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦
四六判コデックス装 239頁 図版64点(ほぼ全点カラー)+栞16頁
8%税込2,916円(本体2,700円)ISBN978-4-86426-038-1 C0095
初版第一刷2019年8月15日発行
編=季村敏夫
発行=みずのわ出版
装幀=林哲夫
プリンティングディレクション=黒田典孝((株)山田写真製版所)
印刷=(株)山田写真製版所
製本=(株)渋谷文泉閣
■はじめに(本書3~4頁収録)
かつてあったことは、後に繰り返される。殺戮、破壊、錯誤、懺悔、その重なりのなかで、身体の刻む詩的行為の火、花、火力は現在である。
上梓のきっかけは、一冊の同人誌と映画との出会いだった。小林武雄編集の『噩神(がくしん)』創刊号で矢向季子を知った。身震いした。映画は、日本統治下の台南の詩人を描く『日曜日の散歩者』(黄亞歴監督)。台湾を襲った地震の映像のあと、同人誌『神戸詩人』が迫ってきた。西脇順三郎らの『馥郁タル火夫ヨ』から引用があり、明るさの戻った部屋で茫然としていた。「現実の世界は脳髄にすぎない」「詩は脳髄を燃焼せしむるものである。こゝに火花として又は火力としての詩がある」、わたしはあらためて、戦時下の詩をたどりはじめていた。
同人誌と映画との遭遇が、次から次へと出会いを導いてくれた。平坦ではなかったが、みえない数珠のつながる道のり、促されるまま従った。
かつてあったことは、後に繰り返される。一九三〇年代後半、シュルレアリスムに関わった青年は治安維持法違反容疑で次々と獄舎に送られた。神戸詩人事件はそのひとつだが、現在である。今回編集した矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦、初めて知る詩人だが、このラインにも、シュルレアリスムへの目覚め、総力戦、同人誌活動の終焉、モダニストの戦争詩という歴史がある。しかも三人は番外の詩人、一冊の詩集もないまま消えた。
あるとき、ある場所で、確かに生きていたひと。詩は、息のひびき。声を出して読めば、ひとはよみがえる。生きていた場所、場所の記憶、青空に染まる歓声まで戻ってくる。
消えてしまった、たましいをよびよせる、この集を編みながら念じていた。
(「がく神」の「がく」の漢字は環境依存文字ゆえ、パソコンによっては正しく表示されない場合があります)
■目次
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矢向季子詩集抄/隼橋登美子詩集抄/冬澤弦詩集抄
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「夜の声」読後感(矢向季子)/詩をよみはじめた頃(内田豊清)
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内田豊清のこと/矢向季子のこと―シュルレアリスムの目覚め/隼橋登美子のこと―神戸詩人事件について/冬澤弦のこと/『神戸詩人』と台南の風車詩社について―石ほどには沈黙を知らず
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初出一覧/関連年譜
■栞(16頁)
天使は肉声でうたう 藤原安紀子
「しんぼるの森林」に分け入る 高木 彬
■編者
季村敏夫 きむら・としお
一九四八年京都市生まれ。神戸市長田区で育つ。古物古書籍商を経て現在アルミ材料商を営む。著書に詩集『木端微塵』(二〇〇四年、書肆山田、山本健吉文学賞)、『ノミトビヒヨシマルの独言』(二〇一一年、書肆山田、現代詩花椿賞)、共編『生者と死者のほとり――阪神大震災・記憶のための試み』(一九九七年、人文書院)、共著『記憶表現論』(二〇〇九年、昭和堂)、『山上の蜘蛛――神戸モダニズムと海港都市ノート』(二〇〇九年、みずのわ出版、小野十三郎特別賞)、編著『神戸のモダニズムⅡ』(二〇一三年、都市モダニズム詩誌、第二七巻、ゆまに書房)など。