福岡実質日帰り出張。

【5月29日】
どういう訳か知らんが、遠出の前は徹夜になることが多い。6月中旬刊「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」の最終校正ならびに索引の照合・追加作業、ほぼ完了。索引は1400項目を突破した。これだけでも戦後史の一端が垣間見える。
夕方印刷所にゲラを戻し、大阪南港午後8時発新門司行酩酊船。


【5月30日】
博多行特急ソニックに乗る。満員。わずか45分の車中、デッキに立っていて酔っ払う。揺れの激しさでは定評のある振り子式電車。坐ってる分には快適なんだが、立っている分には地獄だ。揺れ方が半端ではない。振り子式電車といえば、誰が云いだしたのか知らんが特急くろしおの別名を“ゲロしお”という。ソニックは車酔いする人々からどのように呼ばれているのだらうか。


天神で読売新聞宮崎支局のIさんと会い、「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」最終の詰めにあたる。計50回の連載に1年、編集に半年。連載の準備も含めると2年がかり。手間暇かかるものだ。記念にとジャケットの本紙校正を贈呈する。
書評依頼をどこに出すか、についても話し合う。書評が出たからといってそうそう売れるわけではないのだが、それでも出ると出ないとで大違いだ。こんな本が出たということだけでも知ってもらわなければ、何も始まらない。
図書新聞、読書人、出版ニュースには新刊が出る度に送っている。その他雑誌類の選択は本のジャンルによって変えている。宮本常一の写真データベースを活用した連載をまとめた本だから写真雑誌にも送ってみよう。
問題は新聞だ。たとえば毎日新聞社の刊行した本が朝日新聞の書評欄に載ることはあっても、著者=毎日新聞社の本が朝日新聞に載ることは考えにくい。共同・時事は、配信はしてくれるかもしれないが、地方紙はまず載せないだろう。
読売新聞西部本社編「物語の中のふるさと」(海鳥社、2005年8月)を刊行した折、九州の地方紙では熊本日日新聞だけがとりあげてくれたそうだ。
このように、著者名を見て引くのではなく実際に本の中身をみてとりあげるか否かを決めてほしいのだが、現実にはライバル紙の本を褒めるわけにはいかん、という話になりがちだ。うーん。つまらん。ケツの穴のこまい話ぢゃのう。

他社ネタと云えば――。
1年間だけ勤めた某奈良テレビ。某日本テレビ系の「24時間テレビ」のイベントをニュース枠で流していた。「24時間テレビとか日テレとか、あんまり前に出さんといてな」とデスクが釘を刺してはいたが、あの黄色い地球儀みたいなロゴ、映りまくりですがな。ぢつは何も考えてへんと云ってしまえばそれまでだが、これはこれである意味健全、と云えるのではないか。


天神の紀伊國屋丸善ジュンク堂博多駅前の紀伊國屋……と営業に廻り、見込注文のスリップを切ってもらう。あとは売れてくれることを願うのみ。
ひととおり片づけて、博多駅前地下の回転寿司に入る。シメサバではなく、生のサバのにぎり寿司がくるくる廻っている。1皿210円、感動もの。博多恐るべし。


小倉着。新門司港への連絡バスの待ち時間、ブックセンタークエスト小倉本店と喜久屋書店を廻る。
魚町銀天街ガリ書店、閉じられたシャッターに閉店を告げる貼り紙。ウチが版元商売を始めたころは地方小出版流通センターの新刊配本表に載っていたのだが、いつの間にか消えていた。「平野遼 青春の闇」を刊行したとき一度だけ営業に行ったことがある。地方小扱いの本を入れるのはいまひとつ気が乗らないようで、まったく話が噛み合わなかった記憶が残る。


新門司午後8時発、フェリーきょうと2の帰り船。修学旅行の中学生で賑やかなこっちゃ。
消灯後、ロビーで急ぎのゲラを読む。男子生徒がしんどそうにしている。喘息かと訊けば肺炎だと。添乗員が2人ついているのだが、乗組員に連絡するわけでもなし救護室に連れて行くわけでもなし、ちんたらしているのを見ているとむかむかと腹が立ってくる。
あのな、具合の悪いヤツ、ええ大人が二人もついとって横でぼーっと眺めてどないすんねんな。背中くらいさすったれや。そう云うてもピンとこないようなので、私が立ち上がって彼の背中をさする。車酔いとか船酔いもそうだが、背中さすったげるだけでも違うのだ。
お医者さんですかと訊かれたから、いえ、本屋ですと答える。怪訝そうな顔をしていた。子どもの前で、こんな酔っ払いに説教されるのはかなわんだろうな。