現実逃避ツアー

mizunowa2006-08-09

【写真】
沖家室島の沖合で、後ろ姿が繪になる二人。左=高橋公さん、右=立松和平さん。


【8月4日】
盆前進行の「沖家室 瀬戸内海の釣漁の島――あるくみるきく195復刻」(森本孝・須藤護・新山玄雄共著)で、唯一未入稿になっていた泊清寺・新山玄雄住職の解説原稿(手書きぢゃーッ)が朝から昼過ぎにかけてファクスで送られてきた。よっしゃとばかりに大急ぎでワープロ入力し、印刷所にメエル入稿。荷物をまとめて大阪に向かう。ついに9日連チャンご出勤。夕方にかけて無事責了。10日午後出来予定。
出来上ったばかりの「沖家室開島400年記念誌――きずな」1000冊積み込み、難波で戌画伯を拾い、大阪南港21時発さんふらわあ。6日に神戸で用事が入っていたのだがキャンセルしたと昼前に電話があり、今回の帰省兼配達兼行商に同行することに相成った次第。
2日ぶりに風呂に入り、午前2時過ぎまで呑む。チェイサー代わりの麦酒にウイスキー1瓶、ワンカップ3本、白角缶2本干す。


【8月5日】
6時すぎ松山観光港着。短時間だったが久しぶりによく寝た。伊保田港から沖家室島に直行。泊清寺に本を届ける。住職は本堂でお勤め。法事で島に帰ってきた人らやな、世間は夏休みか……。
安下庄の家に在庫を取りに行き軽くガソリンを入れ、下田のFさん宅でお昼をよばれる。午後3時から泊清寺本堂で立松和平さんを講師に、開島400年記念講演会。本堂前にテーブルを出していただき、お店を開く。「開島400年記念誌」が飛ぶように、とまではいかぬが、隣の受付でそこそこ売れている。この本だけでも間に合ってよかった。

「この『水平の人』って、水平社関係の本かね」と、島に住む親戚のおじさんが訊いてくる。水平の行者といわれた栗須七郎の評伝云々と説明する(お買上げ、多謝!)。勉強家で、むかし印刷関連の仕事をしていただけに業界の話にも詳しい。あの本はよう出来とったの、あれは一寸期待外れぢゃったの、内容が浅かったの、とか批評を頂く。当たっているだけに厳しい。都市だろうと田舎だろうと、読み手の目は誤魔化せない。

講演会終了後、群山荘で呑む。植民地下の朝鮮で、材木で儲けたグベンシャ(大島方言で分限者の意)の屋敷。2階からは本浦の漁港が一望できる。終わりがけに撮った記念写真の人数を数えたら40何人かいた。ここだけひと足早くお盆がきたようだ。ふだんは静かなこの島だが、お盆がくれば空き家に一斉に灯がともる。


【8月6日】
群山荘から鯛狸(=^・^=)さん方に移動、午前2時過ぎまで呑み、そのまま座敷で転がる。
朝6時起床。立松さん、高橋公さん(NPO法人ふるさと回帰支援センター事務局長)、戌画伯、私(写真係)の4人で、鯛狸(=^・^=)さんの親爺さんの船に乗せてもらい沖へ釣りに出る。
寝不足宿酔い空きっ腹の三拍子揃って、漁船で写真撮りはまずかった。視神経がくたびれると酔う。それに私の三半規管は鋼鉄製ではない。少しばかりゲロ……否、撒き餌をする。こりゃアカンと観念して横になる。1時間半ばかりだったか。よう寝とったの。船の上はゆりかごぢゃろ、と親爺さん。
ほんぢつの釣果、高橋さん坊主、立松さんアジ1匹。釣った魚で朝メシをと云うていたので、見かねた親爺さんが操船の合間に糸を垂らし、イサギの大きいやつ1匹釣り上げてくれた。あんた上げてみるかね云うて、戌画伯にリール巻かせていたが。ついでを云うと、釣りの合間につまみ喰うエサのエビが旨かったりする。魚は釣れなくとも人は釣れる。
借用した仕掛けは3本ヅケ。ワシは8本ツケるんよと親爺さんがテボ(テバコともいう)に巻いた仕掛けを見せてくれる。プロは違う。

朝メシは茶粥にイサギとアジの刺身、それに親爺さんが生簀から出してくれたウマヅラハゲの味噌汁。これが何よりの贅沢。冷蔵庫にヤズのヅケを発見。鯛狸(=^・^=)さん、これ喰うてええかと訊くと、ちぃと古いけぇ客に出すのはどうかのと。ヅケは腐る前がいちばん旨い。慣れとる者にはいいのだが、そうでなければ腹をこわす。……が、旨いど。やっぱり食べんさい云うて持ってきた。大好評につき何より。

けふは午後から岩国で講演会。岬めぐりのバスで帰るという戌画伯を安下庄の役場前で降ろして、岩国へ向かう。「100万人のふるさと回帰運動」の関連で、旧錦町で農林業を営むFさんグループと連合山口の主催。本は大して売れなかったが、高橋、立松両氏の講演が聴けてよかった(泊清寺では、表で店出ししていたから講演が聴けなかった)。