1週間。

mizunowa2007-11-16

【写真】
山口県情島。今月初旬、思うところあって10年ぶりに訪ねた。天日干しのスルメは母方の祖父がよく作っていたが、81年に亡くなって以降口にしたことがない。あの味を思うと、市販のものなど薬臭くて食えたものではない。


【10日】
御影高校山岳部の同期M君と2人で、昨秋亡くなったH君の実家にご挨拶に伺う。
農学研究者として道半ばで病魔に倒れたH君の追悼文集を作りたいといってM君とF君が相談に来たのが昨年暮れのこと。意気に感じて、でもそれ以前にプロだからあくまで「仕事」としてきっちりやりまっせという話をした。
今回、どんなふうにそれを具体化するか、ご両親と相談するために出かけていった次第。追悼文だけでなく著作目録と解説を収録すれば彼の仕事を残すうえでプラスになるだろうし、三回忌までに出しませう、ということで、とりあへず動き出すことと相成った。
高度成長期のベビーブームに乗っかかって定員水増しして11クラスもあったマンモス校ゆえ、H君と私とは在学中面識はなかったのだが、それでも他人事とは思えない。同時代に、同じ〈場〉にいた者同志だ。年齢的に身体能力が衰えていく一方で、仕事しいとしてはこれから先がますますオモロくなっていくはずなのにそのための助走段階で夭折してしまった、彼の無念を思うとたまらない。
追悼文集の類は「自費もの」であっても原則として作らない主義なのだが、今回だけは別だ。こんなこともある。


【11日】
あまりの散らかり具合にこれでは仕事をする気も起こらんと思い立ち、在庫と資料の整理にかかる。「仕事するための仕事」で一日ツブして、それでも片付かず。不憫な不良在庫800冊、市内某所に預ける。


【12日】
前日に引き続きお片付け。行き場のない不良在庫10筺、部数にして1000部超、某著者に無期限で預かって戴くべく佐川急便にのせる。集荷ついでに解放出版社宛に2筺発送。全同教大会の委託分。帰って来るんぢゃないぞ〜と念を送りつつ……。


【13日】
午前いっぱい姫路で仕事。Mさん、Hさんと駅前呑み屋街の定食屋で昼メシ食うて解散。この一角は、いまも昭和30年代の空気が漂っている。


【14日】
来年の仕込みのため、徹夜明け朝イチのぞみでお江戸行。日暮里で京成線に乗り換えて昼前から午後にかけて八千代市内。夕方東京に戻って赤坂でもうひと仕事。最終のぞみで、シウマイ弁当をアテに麦酒とウヰスキー呑みもって神戸に戻る。


【15日】
やっぱ歳ぢゃな。前日の強行軍が祟って仕事にならず。


【16日】
京都、寺町のスマート珈琲店にて昼メシ兼ねて寄り合い。来年の出版企画、一つひとつ目処が立ってきた。今年の刊行点数は現時点で6点にとどまっている(自費ものゼロ)。当然だが、商売も10年やってきて最低最悪の状態にある。「そりゃあ、本を出してへんねんからアカンよ」と林画伯は云う。面目ない。昨年末急性膵炎を患って身体が弱り、思った以上に仕事ができなくなったのは間違いなかろうが、それを言い訳にはできん。しかしまあ、あのケッタクソ悪い「木村事件」以降まる1年祟られまくったな……。来年は取り返さなアカン。あんなバカ如きでツブれるわけにはいかん。