サイト連載「本屋の眼番外」の訂正。

mizunowa2011-07-02

【画像】
猫庵アンチョビプロジェクト、未だ機能せず。


【お詫びと訂正】
以下、小社サイトの次回更新(7月10日頃予定)まで時間かかるので、BLOG先行にて。


小社サイト連載「本屋の眼番外」第2回 http://www.mizunowa.com/soushin/omeme_file/omeme_bn1-3.html で、1922年に神戸元町の宝文館が少女雑誌「令女界」を創刊したとする記述は、日本の近代を語る会編『識る力――神戸元町通で読む70章』(ジャパンメモリー発行、ブッキング発売)からの孫引きでしたが、それ自体が錯誤であるとのご指摘を戴き、改めて調べたところ、「令女界」発行元である東京の「宝文館」と、神戸元町の「宝文館」は、全く別の団体であることがわかりました。歴史的事実に関する内容ですのでここに告知し、サイト上の記述を修正します。関係各位にご迷惑をおかけし、まことに申し訳ありませんでした。
また、今後とも「本屋の眼番外」ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
2011年7月1日 みずのわ出版代表 柳原一徳

【誤】
 宝文館の名は、この前後にも出てくる。
 ●1922年(大正11年)(5丁目)前年に「神戸新聞社」の社長を辞職した松方幸次郎の資本を迎えた書店「宝文館」が少女雑誌を出版。蕗谷虹児岩田専太郎、加藤まさをらの挿絵、吉屋信子の小説を掲載した少女雑誌「令女界」を創刊する。
 ●1924年大正13年)(5丁目)書店「宝文館」の店頭にこの頃から神戸三中(今の長田高校)に通う淀川長治が店頭に積み上げられたアメリカの最新映画雑誌「フォトプレイ」「モーションピクチャー」などを買いに来る。
 宝文館が流行のモダニズム雑誌を発行、洋雑誌も販売と、ハイカラ文化の先端を担っていた様子がうかがえる。

   ↓

【正】
 宝文館の名は、この後にも出てくる。
 ●1924年大正13年)(5丁目)書店「宝文館」の店頭にこの頃から神戸三中(今の長田高校)に通う淀川長治が店頭に積み上げられたアメリカの最新映画雑誌「フォトプレイ」「モーションピクチャー」などを買いに来る。
 宝文館がハイカラ文化の先端を担っていた様子がうかがえる。