決して埋まることのない齟齬

【3月4日】
当初の予定より1ヵ月以上遅れて、昨夜出来てきた『公的扶助研究 200号』の発送作業を行う。いよいよ今回をもってウチへの編集委託が終了し、研究会の単独発行に戻る。
単純に考えると売上減なのだが、(自費出版といえども)事実上の不採算事業だったこともあり、これにかかっていた手間暇を別の単行本企画にあてられると考えたら、この仕事が無くなった方が却ってプラスに働く、というのが実態だったりする。


これは云うても詮無いことなのだが、役所のワーカーさんと研究者、運動の人らが中心であるがゆえ、ジャーナリスティックな視点は皆無だった。この場合の本当の意味での“現場”とは、役所とか研究室なんかではなく「困窮状態にある人びとの生活実態」だと私は考えるのだが、5年半やってきて、そこのところの齟齬は最後まで埋まらなかった、と思えてならない。


たとえば、こういうことだ。
1月23日の大阪での講演会(ジャーナリスト・ネット、自由ジャーナリストクラブ、小社主催)で佐野眞一さんは、最近取材していることの一つとして、生活困窮が蔓延する中で急増する就学援助の問題を挙げた。今年1月3日付の朝日新聞は、「公立の小中学校で文房具代や給食費、修学旅行費などの援助を受ける児童・生徒の数が04年度までの4年間に4割近くも増え、受給率が4割を超える自治体もあることが朝日新聞の調べで分かった。東京や大阪では4人に1人、全国平均でも1割強に上る。経済的な理由で子どもの学習環境が整いにくい家庭が増え、地域的な偏りも目立っている」と1面トップで報じている。
就学援助は学校教育法に基づく制度で、保護者が生活保護を受けている子ども(要保護)に加え、市町村が独自の基準で「要保護に準ずる程度に困窮している」と認定した子ども(準要保護)が対象となる。生活保護とは異なるが、それに繋がる重大な問題を孕んでいる。
佐野さんは東京の下町にあたる足立区の実態を取材していて、ある学校では就学援助を受けている子どもが7割を超えているという。たとえばある子どもは、読めないほど小さい字をノートに書く。それは、そのノートを使い切ってしまえば、新しいノートを買ってもらえないからだと。またある子どもは夏休みが終わると体重が減る。給食がないからだと。そんな現実がある。
三浦展の『下流社会』について「別にマイナスイメージでなく、むしろニートというものもひとつの価値観だとか、精神の貴族というようなことをほざいている。とんでもない“大文字”だ」と佐野さんは指弾する。現実はすさまじい。「下流社会」なんて気楽なこと云ってるような場合ではないのだ、と。


生きていくことが困難な時代、まさしく非常事態だ。『公的扶助研究』に限った話ではないが、この分野の研究者やワーカーさんの書いたものを読むにつけ、時代精神に対するアンチテーゼとなりえていない、現実社会と切り結ばれていない、ということを痛感する。佐野さんが講演会で語ったような、時代精神に対峙する取材者としての矜持なり、ほとばしる怒りなり、そういったものとは縁遠い世界――と思えてならないのである。