「島びと三代の記」最終回。

中国新聞文化面「緑地帯」の拙文「島びと三代の記」、今日で最終回。6年前に亡くなった母方の祖母の話。これまた何かの縁か、今日が祖母の“ひにち”(祥月命日ではなく、月の命日)だった。
製糸工場の“織り子さん”として昭和初期の周防大島に来て、そのまま信州に帰ることのできなかった祖母のライフヒストリーを聞いておきたいと思ってテープを回し始めた直後に亡くなった。わかっていること、人に聞いて埋められることだけでも、改めて書き起こしておきたいと思う。


「ハチマンエン」「ダリ」「ヤンバン」等々、移民がらみの逸話、書く段ではきれいに忘れていた。あとから気付くことばかり。
これで思い出した。安下庄の庄部落では「サンジュウマンエン」というのがあった。アメリカに移民して帰ってきて、持って帰った30万円で家建てした。で、その家のことを部落の者は「サンジュウマンエンかた」「サンジュウマンかた」と云っていた。15年前に亡くなったそこのおじさんには、こまいころからほんまにようしてもろうた。これまた、いずれ機会をつくって書いておきたい。