カボスに実がついた。

mizunowa2006-06-30

【23日】
昼すぎから神戸と大阪で銀行の梯子。家賃やら原稿料やらひととおり支払を済ませる。印刷代は入金の都合で末日にずれ込むが、今月も何とか乗り切った。来月の目途は立たぬが……。
大阪は大正の印刷所で、「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」(読売新聞西部本社編)初刷2500冊のうち300冊を受け取る。急ぎ分を発送、残りをクルマに積んで大阪南港21時発のさんふらわあに乗る。


【24日】
朝、松山で乗継ぎ。「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」Hさんの予約分10冊を届けた後、三津浜港から周防大島伊保田港へ。突然の濃霧でさんふらわあの松山入港が1時間遅れたので(結局タグボートに押してもらって入港した)大島に渡れへんかったらどないしようかとも思ったが、こちらは定刻より少し遅れた程度ですんだ。


【25日】
Fさん宅でお昼をよばれたあと安下庄の家に帰る。けふは終日雨、翌日の予報も雨。仕方がないので、雨合羽着込んで、それでも雨か汗かようわからんがずぶぬれになりもって夕方まで畑の草引きをする。
わが家の敷地に10坪ばかりの畑があって野菜はほぼ自給していたのだが、祖母が亡くなってからはろくに手入れをしないものだからすっかり荒れてしまった。これではいけないと思い立ち、帰省する度にセイタカアワダチソウとひっつき虫が繁茂する元“畑”の草引きを続けた。でっかいやつ、タネのついたやつは引っこ抜いてゴミに出し(部落の取り決めで野焼きは禁止されている)、こまい(小さい)やつは根を切って土と一緒に耕してやる。
1年くらい続けると、外来種の雑草があまり生えてこなくなった。その代わりに在来種が復活した。根がしっかり張っている分、ぢつはこいつの方が手強い。却って体力が要るようになったが、それをずーっとやっていると、去年の夏には数年前にタネのこぼれていた豆茶(ハブ草)が復活し、秋にはそこそこ収穫できたのだから、やっぱり何でもやってみるものだ。
再々帰省すると云っても、ひと月かふた月に一度、それも2、3日しか居られないのだから、野菜を植えるのは無理だ。そこで、一昨年の春に雑柑を植えた。酢橙か檸檬を植えたかったが、時期が遅くて売り切れていたので、カボス、スダチ、ライムの苗を買ってきた。温州蜜柑だったらきちんと世話をみる必要があるのだが、雑柑はそこまで気を遣わなくてすむ。以前から植わっている酢橙と甘夏も、あまり世話をみてこなかったが、毎年律儀に実をつけてくれている。木が大きくなれば、雑草も生えにくくなる。
しかし、セイタカアワダチソウに土の精を吸われた所為か、雑柑はなかなか太らなかった。今年の水仙忌の頃に帰省した折、沖家室島のいとこにその話をしたところ、蜜柑の肥やしの打ち方のメモを作ってくれた。それを参考に連休の頃に春肥を打ち、土質改良のため石灰を入れた。畑の縁にスギナがわらわらと生えるということは、酸性が強くなっている、ということだ。
御蔭様で、カボスに5つ実がついた(写真)。果たしてこいつが大きくなってくれるかどうかは予断を許さないが、3本とも目に見えて幹が太くなり葉の勢いも違っていたので、帰省する度に世話をみてやれば来年はもう少し良い結果を出してくれることだろう。
宮本常一関連、沖家室島関連の出版企画の打合せやらリサーチやら、それに本の行商……と、田舎に帰ってまで本の仕事をしている。それって街なかでの生活の延長戦であり、そればかりやっていたのでは島に帰った気がしない。本職の百姓の大変さを思えば知れているのだが、この毎度毎度の野良仕事で自分の中のスイッチを切り替えている。

さて、ひと風呂あびて一杯……というわけにはいかず机に向っていると鯛狸(=^・^=)さんから電話が入る。けふのお泊り客が大雨でキャンセルになったからヒマぢゃ。これから安下庄へ出るけぇ呑もう、と。
お目当ての店は閉まっていたので、平野へ足を延ばして2軒梯子。ほとんどカラ酒だったので、家に帰って煮麺を作り、そいつをアテに黒ラベルと五橋をやっつける。鯛狸(=^・^=)さんが仏壇のチンするやつ(あれ、何って云うんですかね?)で遊んでいる。ぽくぽくちーん、にもいろいろありましてのう。ほでほで。これが葬式のチーン。で、これが法事のチーン……。流石元ミュージシャン、坊主をも恐れぬ男! 本人は酔うて忘れとるかもしれん……。