連休。

mizunowa2006-05-13

【4月28日】
大阪南港を前日午後6時発のさんふらわあさつまで、9時前鹿児島県志布志港に到着。商船三井系フェリー4社のスタンプラリー、特等タダ券欲しさに回り道した次第。

JR日南線の鈍行で宮崎へ。読売新聞宮崎支局に担当デスクIさんを訪ね、「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」(読売新聞西部本社編/全国離島振興協議会・財団法人日本離島センター周防大島文化交流センター監修)のゲラ受け渡しと打合せ。
佐野眞一さん(ノンフィクション作家)の解説原稿はすでに校了し、写真のレイアウトも完了。ただし、1000項目を超える索引取りと、写真データ一覧作成に手間暇かかるため、本の出来は6月10日頃になる見込み。

打合せ終了後、商店街にある某地元書店に営業を仕掛けるが「地方小ねえ……」とつれない返事。地方小扱いは買切品(――といいながらも実際には返品できるんですヨ。日本語としてオカシイんちゃうのん、と云われること実に多し)だから嫌がる本屋が多い。ゆえにウチの本は、町の本屋に流れない。こうして読者を逃す。こんなことだから売れるものも売れないし、ただでさえ売れないものがますます売れなくなる。
書店業界があげて再版制度・委託制度にあぐらをかいてきた、ということだ。一日も早く全面買切制に移行すべし。そうなった日には地方出版物や少部数出版物は現在にもまして店頭に並ばなくなるとか出版文化が衰退するとか何とか、一見ごもっともな意見を宣うお方も少なくないが、ナニヲカ云ワンヤ。マイナーな本を置かない店は、委託制だろうが全面買切制だろうが一緒だ。「新刊書店よ、古本屋になりなさい」とは、本を散歩する雑誌「sumus」編集人林哲夫画伯の言。


■6月10日頃出来予定/読売新聞西部本社編「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」帯より
4000日を旅に暮した昭和の世間師、その時空を越えたエネルギー
民俗学者宮本常一(1907−1981)は、生涯のうち4000日以上を民俗調査に充てた。3000を超える地域を訪ね、子どもや労働に汗を流す男や女たち、街角、橋、看板、洗濯物――とあらゆるものにレンズを向けてきた。戦後だけで約十万枚。生誕の地、山口県周防大島町で2004(平成16)年開館した周防大島文化交流センターが保管している写真のうち77点から、九州・山口の戦後、そして高度成長期を挟んで激しく変貌した日本の足跡をたどり、「いま」を描く。



【4月29日】
特急ドリームにちりんで博多着。座席の夜行列車は久しぶり。午前7時開店、駅地下の因幡うどんで青葱・唐辛子てんこ盛りのごぼ天うろんを食して天神へ。スタバに籠もって原稿を読む。
本の行商、JR筑肥線の鈍行で鹿家(しかか)へ。ロングシートの通勤電車だが、前原を過ぎると鄙びたローカル線の風情。なかなかのもんで。


【4月30日】
福岡から広島へ。中国新聞カラオケ部長佐田尾さんから、広島市現代美術館のチケットを頂戴する。「岡本太郎 誇らかなメッセージ“明日の神話”完成への道展」を見学後、上八丁堀のサ店で戌画伯こと福島清さんと合流。夕方佐田尾さんが合流。福島さん旧知の寿司屋で呑む。ウニはわが郷里安下庄の産だった。生産者名を見て「よう知っとる人ですワ」と佐田尾さん。世の中狭い。最終1本前のレールスターで神戸に戻る。


【5月1日】
朝から雑用漬け。夕方、インテックス大阪に納品に出る。2日から5日まで「しまづくりキャラバン2006」(主催=国土交通省・財団法人日本離島センター)が開かれる。周防大島の若い衆がブースを出すので、そこでウチの本も販売してもらう、ということで。
福田忠邦画文集「周防大島 島末の記憶」最終在庫5冊を委託。この本、中国新聞の「団塊」の頁に紹介記事が載ったところ、50冊くらい注文が入った。作り手が云うのもアレだが、いい本だけに発売後半年も経たずに品切にしてしまうのは惜しい。2刷を作るか否か……。


【5月2日】
今日からみずのわ互助会による周防大島草引きツアー。
集合場所であるわがアジトに向かう途上、西明石変態クラブH君が交差点でクルマ同士軽くぶつけてしまい、その始末のため一旦帰宅する旨電話が入る。神戸港第三突堤発10時半の高松東港行ジャンボフェリーをキャンセル。西明石変態クラブH邸集合に切り替え、ガムテープでの応急修理も痛々しいH君のクルマで陸路大島へ向かう。
松山の伊予鉄衣山駅近くに、佐田岬は三崎漁協直営の呑み屋がある。ここで岬(はな)アジ、岬サバをあてに呑んでから三津浜港発深夜0時の船で大島の伊保田港に渡る予定だったのだが、陸路では残念ながら……のはずが、そこは転んでもタダでは起きない私と裏ぷぅさん。安下庄の家に寄らずに伊保田港へ直行、クルマを置いて5時半の三津浜行フェリーに乗って衣山へ呑みに行き、0時の船で大島に戻るルートをひねり出した。瀬戸大橋をクルマで渡るより、はるかに安く上がる。時間的には微妙だが……。
山陽道玖珂ICを抜けたのが4時20分頃。ここから1時間10分で伊保田まで走るのはキツい。と思いきや、大阪人気質丸出しの○○運転で船に間に合った。そこは裏ぷぅさんの執念。
件の呑み屋。魚の一本勝負を堪能した。裏ぷぅさんと私は大喜びだが、H君は蒼くなっていた。この人、食えないモノが多い。このお店は潔いことに漁師宿の如く魚系しかあてがない。青魚や貝類の刺身を受け付けないH君の食えるものを探すのがなかなかに大変だった次第。