漂着物探験

mizunowa2006-05-10

【4月22日】
松山を経て、9時40分頃伊保田港着。石井忠さん(漂着物研究家)、西日本新聞の城戸洋さんと、周防大島文化交流センターで待ち合わせる。小社刊「漂着物探験」の著者。お二人が到着したあたりから雨が降り始める。午後から本降り、とのこと。会場近くの真宮島でフィールドワークの予定だが、これでは無理だろう。
石井さんの講演。テーマは「寄り物のはなし」。南方から流れ着く椰子の実、生きている化石オウムガイ、浮かぶゆりかごアオイガイ、冷戦時代の副産物海漂器、巨大イカの魚拓等々、30数年にわたる玄界灘の浜歩きで収集した「ブツ」の数々を披露していただく。ココヤシの実を会場にまわしもって「この椰子の実の穴ぼこから仄かにかおりたつ匂いを嗅いでみてください。何とも云えぬ懐かしい匂いがするんです。黒潮に乗って日本列島にやって来た先達から何代にもわたって受け継がれてきた記憶が、ここにあるんです」。机上の学問ではない、フィールドワーカーが持つ実感といったものが伝わってくる。
佐田尾信作さん(中国新聞文化部)のブログ「“satao”のヒロシマネのまなざし」4月28日付に記述がある。
http://blog.chugoku-np.co.jp/fureai9/


【4月23日】
シーボルト上陸記念碑、筏八幡宮陸奥記念館、真宮島……へと、石井さん、城戸さんを案内する。白木山(しらきやま)に登り、宮本常一が眺めたのと同じ風景を見てもらおうと思ったのだが、去年の集中豪雨で道が崩れた、途中まではクルマで登れるが、離合で難儀するあの細い山道をバックで戻らなあかんと稲垣吾郎さんから聞くに及んで取り止めに。知らずに登っていたらエラい目に遭うところだった。
夜のうちに雨が止んだので、昨日フィールドワークを行う予定だった真宮島へ。
この真宮島は、宮本常一の文や写真にしばしば登場する郷里の風景の一つ。陸に近い方が「カチの島」、遠い方が「沖の島」で、潮が引くと砂嘴でつながる。小社刊「宮本常一 旅の原景」(写真=田中慎二・荒木肇/文=佐田尾信作)に美しいカラー写真とともに「なぎさの記憶」と題する小編が収録されている。
さて。1日遅れ、3人だけのフィールドワーク。牡蠣養殖筏の残骸が大量に流れ着いている。不法投棄とみられるものも多い。「瀬戸内海は、全体的に養殖筏のゴミが多い」と。大した“お宝”は見つからなかったが、それでも土器と須恵器の欠片、かなり摩耗した石器を拾っていかれた。
「カチの島」の波止の付け根に和船がうち捨てられていた。「玄界灘では、和船はもう1隻も残ってませんよ。これくらいの痛み具合なら、まだ保存可能です。勿体ないですねえ」と石井さん。25年前に亡くなった母方の祖父豊田春一の、沖での戦友「春日丸」を思い出した。