“氣”があってこそ。

mizunowa2008-03-12

【写真】
酷鐵天王寺駅阪和線ホームの名物、天王寺うろん。私が学生の時分は屋台で営業していて、確か3番ホーム車止め前にあった。器はぺらっぺらのプラスチックで汁はぬるく、麺はずぶずぶの腰砕け、食いこぼしを目当てに鳩がうぢゃうぢゃわいてくるといふ、なかなかのシチュエーションだったが、当時のほうが今よりはるかに旨かったやうな気がする(ここのうろんは旨いんですよ、誤解無きやうに。関西の立ち食いではトップクラスだと思ふ)。


【12日】
先週末、ウチの著者が本職のほうでお江戸に出張してきた。そのついでにウチから出した自著を確実に捌いてもらえさうな書店さんに営業を仕掛けてきた……と、さういうことで件の書店に電話を入れてみた。「急なお電話ですみません(中略)ウチの著者の○○さんからお話を聞いてもらってると思うのですが……」と私。電話に出た店長とおぼしき年輩の女性曰く「その人に応対した○○は新人で何もわかっていません。お宅とはこれまで取引がありませんし、今後新たに取引先を増やすつもりもありません」と、まあ、取りつく島がないとはこのことだ。はあ、さいですかと云うて電話を切る。立地とか客層とか、著者から聞いた棚の具合では、ウチの本は確実に売れると踏んだんだけどなあ。まあ、アカンとこはこんなもんよ。書店営業してて、こんな反応は少なくない。いちいち腹立てとったんでは、なんぼ腹があっても足りん。

気を取り直して午後から大阪に出る。解放出版社とCaloさんに新刊を卸し、夕方から5月刊行予定のブックレットの打ち合わせ。よし、これでみえてきた。本屋にせよ著者にせよ何にせよ、“氣”のある者でなければ仕事をする価値はない。