丑の日。

mizunowa2008-07-24

【写真】
12日18時03分東京発熊本行、寝台特急はやぶさ車中にて。トリスポケット瓶持ち込み、肴は「季刊しま」の最新号。写真、ブレてますがな。


【9日】
午前、朝霧のHさん宅で原稿読合せ。午後、大正区の印刷所。夜梅田、ジャーナリスト・ネットの寄合で「戦争出前噺」の経過報告……当初思った以上に苦戦。十三の立呑みでKさんと二次会。


【10日】
午後印刷所。夕刻Pさんと玉造で密会。9月の新刊企画を詰める。次の仕事があり(クルマぢゃ!)、酒を呑めんかったのが残念。


【11日】
午前内職。午後の新幹線でお江戸行。浜松町の海員会館に荷物をおろし、日本離島センターへ。雑用諸々。Mさん、Sさんとホッピーで酔っ払う。


【12日】
平和資料館の仕事。西武田無駅前、Kさんと朝イチで合流し返却行脚。おうちに帰るまでが遠足と云うけれども、企画展も然り。資料返却が完了する迄が企画展、だ。
午後、予定より早く仕事が終わった。東京駅近くのサ店に籠って下請けのゲラを読む。編集のあまりの粗雑さにキレさうになるが、そこは目をつぶるしかない。よっぽどひどい箇所だけ初校段階からずーっと指摘しているのだが、先方が無視しとるのか理解する力がないのか、まったく直ってこんのですよ。まあ、ここまできたらワシの知ったこっちゃない。素読みだけですます。
18時03分発、寝台特急はやぶさに乗車。ブルートレインなんて、昔は高嶺の花だったんだがいまや斜陽……ときたもんだ。学生時代お江戸に出るいうたら、18切符使こて人民列車(大垣夜行)やったもんなあ。あの頃はブルートレインに乗れるゆとりはなかった。今回はよその仕事もあって後から経費が出るので、無理して新幹線でばたばた動かないことにした次第。アルコホル持ち込み谷中生姜かじりもってのひとり宴会は、それはそれで結構なもんではあるが、食堂車がないといふのがぢつにつまらん。そこのところは、船のほうがはるかに上級だ。列車の食堂車って憧れやってんけどなあ。ブルートレインも新幹線も在来線の昼間の特急も、いつの間にか食堂車が消えてしまった。つまらん。


【13日】
定刻より少し遅れて、6時40分頃柳井着(広島県の山中で先行の貨物列車が鹿を轢き殺して、暫く運転を見合わせたといふ説明)。大畠まで戻って、バスで安下庄のアジトに帰る。東京駅から15時間。腰痛のため梅雨時に50日くらい帰られへんかった所為で、草が滅茶苦茶に伸びている。野良仕事→風呂→麦酒(→時々昼寝)の繰り返し。畑だけは何とかしたが、庭まで十分に手が回らない。やっぱり夏場に一人は無理やな。


【14日】
6時起床。朝二番のバスで大島を発つ。広島の原爆資料館で資料借り出しに立ち会う。午後、Mさんと打ち合わせ。新幹線で一旦神戸のアジトに戻り、注文品の出荷だけすませて大阪へ。下請仕事で16日まで2泊3日の合宿。


【以降1週間】
暑い。何やったか忘れた……。


本多立太郎語り・常本一編「戦争出前噺」】
毎日新聞18日付夕刊に記事掲載。以下サイト参照。
http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2008/07/18/20080718ddf041040008000c.html

この記事を読んだといふことで、問い合わせ何件かアリ。それはそれでありがたいのだが、電話してきはるのは70代以上の方ばかり……なのでアル。この手の本は若い衆に読者が少ない、といふことでもあるのだらう。
故・住井すゑさんを牛久沼のご自宅に訪ねた折「若い人が読んでくれるのは嬉しいことですよね。年寄りはあの世へ持っていってしまうからねえ」と話していたのを思い出した(住井さん宅でよばれた鰻は旨かった。けふは丑の日)。若い人らや子どもらに読んでもらおうと思うたら、まずは、学校で本多さんに講演してもらふ、といふのがいちばんええんだらうねえ。学校の先生方に、もっとがんばってもらわなアカンわな。


【身近な環境とその破壊】
安渓遊地さん(山口県立大学教員)のサイト http://ankei.jp/yuji/ 7月24日付「身近な環境とその破壊 周防大島で土をとって岩国基地をつくる」をご一読戴きたく。


宮本常一・安渓遊地「調査されるという迷惑」(小社刊、1050円)もよろしに!
詳細→ http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/chousa-meiwaku.html