エラい人々の無知と傲慢。

mizunowa2008-07-08

【写真】
酷鐵姫路駅播但線ホームにて。高架化で風情の無くなった山陽本線ホームの売店より、ここで喰うたほうがはるかに旨い、やうな気がする。


【腰痛】
いまだ腰の具合がよろしくない。激痛こそおさまったものの、40日近く痛みと共に暮らしていることになる。これほどまでに長引いたのは初めてだ。梅雨が明けるのを待つしかない。とはいへ、去年のやうな真夏日連チャンでは身体がもたん。


【食い倒れ】
けふ閉店やってんねえ。あれだけはやるんやったら、店閉めんでええんちゃうのん?
あの人形、太郎っていうてんなあ。知らんかった。食い倒れの人形によう似たヤツ、クラスに1人はおらんかったか? これって関西ではお約束ですわな。 
でも私の周囲の人間で、私の知る限り(私も含めて)、あのお店に入ったことあるというのが一人もいなかったりする。ワシ、学校大阪やってんけど……。


【テレビ業界のエラい人々の無知と傲慢】
数日前、久しぶりに卓袱台クラッシュをやらかした。
相手は、フリーのテレビディレクターM氏。彼が以前刊行したある本(絶版)を再刊したいといって連絡してきて、6月下旬に会うて話をした。文章力じたいは大したことないのだが、内容はそこそこオモロイ。いまの時代に再刊する意義はあるだらうといふことで引き受けたわけ、である。実際に動きだしたなかで、それもごく短時間でわかってきたのだが、M氏はカネに汚い傲慢な人物であり、これでは共同作業は成り立たないと判断し、実質的に手を着ける前段階で破談にした。

本づくりは、お互い無理をお願いすることもぶつかることもあるが、ひとえに共同作業、である。著者と編集者との関係は、対等であらねばならない。M氏のウチに対する姿勢は、「本づくり」という苦しくも愉しい共同作業を志向しているとは到底思えないものであり、そんな状態で作業を進めてしまうのは、印刷所や装幀家など仕事に関わる人々にも迷惑をかけるし、何にもまして、こうして生まれる本そのものが不幸である。そう考えた。

そんなん、はじめっから気付かんかいと突ッ込まれさうだが、ほんまねえ、やってみんとわからへんこともあるんよねえ。でも、再刊の話をしてわずか数日で卓袱台クラッシュに至ったのだから、まあ、ようできとるもんやと、さうも思ふわけデスよ。私に人を見る目がないと云へばそれまでだが、それでも人を見る目が少しくらいはあったからこそ、わずか数日で破談にした、とも云へるんちゃうのん。ま、この問題はおくとして……。

あるマスコミ労働者に話したら開口一番「そんなヤツ、テレビ局にごろごろ転がってまっせ。東京の民放キー局とかそこらへんに関わるフリーとか、ひっどいもんですワ。某三文字もひどいけど、民放と比べりゃおとなしい方ですな。何かしらんけど、あいつらカンチガイしとるんよねえ」「まあ、あんなんと仕事にならんでよかったやないですか」と云われた。それを考えたら某奈良テレビなんか、まだ善人揃いやってんなあ。

しかし……そんな他人を見下した態度でよくぞまあ取材で歩けるもんやなと、別の意味で感心してしまった。だから、M氏に対してぢつは怒りがわいてこなかったりする。あまりの体たらくに呆れ果て心底馬鹿にしまくっている、ということで、ネタを仕込んだと思えばそれはそれでええこっちゃ。

こういう厄介払いをした時って、ええことあるんですよ。何か、今年の後半にかけてええ仕事ができさうな気がしてきた。まあ、ボチボチと。