満員御礼。

mizunowa2009-02-19

【写真】
2月14日周防大島にて開催、第2回宮本常一写真講座(主催=周防大島町教育委員会みずのわ出版)。満員御礼。
喋り手は、高橋延明(写真家)、清水満幸(萩博物館学芸員)、岡元博(元周防大島文化交流センター職員)の3氏。基調講演をお願いしていた芳賀日出男氏(民俗写真家)は体調不良のため欠席。当日は、およそ10分にわたって芳賀氏のビデオレターを上映した。
撮影=竹本吉宏


【6泊7日】
船中2泊、大島の別宅4泊、実質まる1週間アジトを留守にした。ぢつはその間、新聞やテレビとはまったく縁のない生活をしていた。これはこれですこぶる文化的な生活といへるやうな気がする。自身の元の職業を否定するわけではないが、マスコミが報じる世間の動きとはぢつはまったく関係のないところで僻地の時間は流れている。それは一面ほんたうのことであり、また一面さうではない。お前どっちや!? と云はれさうだが、ほんまに、こんなもんなんですよ。自身が苦悶することのない安全な位置にあって、口先だけで限界集落だのまちおこしだの人づくりだの何だのと宣っとるやうな輩に、この一見矛盾するやうな真理がわかってたまるか。


……それはそれで。
18日朝から刷りの立会いで印刷所に籠った折、仕事の合間に、久々に新聞を読ませてもろた。某国際会議に於いて正体不明へべれけに酩酊しまくって記者会見やって下さった立派な閣僚殿が辞任ってか? 一瞬わが目を疑ったが、ここまでくりゃあ人間(じんかん)何でもアリですもんなあ。少々のことで吃驚しちゃあいけんよ。最近、全てにおいてわらけてしもうて……。

だってねえ。超ウルトラスーパーデラックスワンダフルビューティフルグレートに優秀な学芸員様とされていた(らしい)木村哲也氏(元周防大島文化交流センター学芸員)が、ウチが数年前から仕込んでいた出版企画(宮本常一離島論集、今年刊行開始予定)を盗んで河出書房新社から「宮本常一エッセイ・コレクション」の一冊(全6巻の予定だったが、あえなく刊行中止)として刊行しやうとしたのが明るみに出て、ついでにそれが元で宮本資料無断持ち出しがどっかーんとバレて2006年末にクビになったと、こんなことがあったんですよ。
彼は史料学でドクターとっとるわけ。ほなアレか? 彼がドクターとった某Kな川大学は、資料盗み出して自分の手柄にしても亀島変でーと、そんな教育しとったんかいな!? そこのところ、ワシはこんこんと問い質したい。ワシは超ウルトラスーパーデラックスワンダフルビューティフルグレートに優秀な学芸員様と違ごてドクターがとれるほどの御立派な最終学歴もってへんし、それ以前に日本写専といふクロマティ高校ばりのアホ学校の出ですからなあ。でも、当然の職業教育なんだらうけれども、ワシらは写真の著作権とか資料の取扱いについては、ほんまに厳しく教育されてきたんやで。アホ学校とバカにするなかれ、それはあくまで特定の狭隘な価値観としての偏差値上の話ぢゃ。ワシらは写真の世界の偉大な先達に教わってきたのだ。その名と、自身のありようを汚さぬためにも、バカなことだけはできん。それが、超ウルトラスーパーデラックスワンダフルビューティフルグレートに優秀な学芸員様(三遍も繰り返すのは、さすがに読みにくいですのんた。ひつこくてゴメン)との決定的な違いぢゃ。わっかるかな〜?


おさかな天国
大島の別宅で4泊過ごした。経費削減と島に来た愉しみのため、喋り手の高橋氏とカメラの竹本氏にはウチに泊って貰った。その間、丸々と肥えた刺身用のサバ、背の青黒い悪魔コイワシ、アジ、メバル、海老、カキ、ナマコ……と、魚介類ばっかしさばいていたやうな気がする。突発的に神戸から襲撃を仕掛けてきた御影高校山岳部40回生リーダーM君を助手としてコキ使ったけれども(いやー、彼は魚こそようさばけへんけど、ほかのこと全部やってくれたんでほんま助かった。元山男の連携プレーってこんな時に力を発揮したりする)。島に来てもろたからにはせめてええ魚を喰うて帰ってもらわにゃあならん。母方の祖母が、いつもさういうことを云ふていたのを思い出した。あの人は信州伊那谷を追はれて遠く大島に流れ着いた、それこそ終生の旅人でもあった。それゆえに遠来の旅人のもてなし方を心得ていたのであらうと、今となってはさう思ふ。
さうだ、写真講座当日は母方の祖父の祥月命日。今年のそれは、偶さか曜日までもが同じであった。その大事な日に、墓にも参らずかうして事に仕へていたといふのは、自分ながらなっかなかええこっちゃと思ったりしている。家の仏さんを大切にしていれば、ひいては、自身の中にあるその人を大切にしていれば、無理してまでもお墓に参る必要はないと、ウチのお寺さんはさう云はれる。さうだ、問はれるのは主体だ。
まあ、毎日ええ魚を喰えたこと、これがいちばんの贅沢ですよ。それに、仕事の合間に島の旧友に十何年か振りに会えたこと。これも嬉しかったことの一つ。話が戻るけど、写真講座も濃厚なものであった。いずれ講義録のカタチにしたいと思う。何だかんだ、祖父の御蔭があったんだらう。