逃した魚は。

mizunowa2010-03-11

【新刊】
「大学生とマチに出よう――地域共生授業をつくる」(安渓遊地・安渓貴子著)
ここんとこ年度末突貫工事と確定申告でばったばたしとって、新刊の案内出すのを忘れとった。
滅茶苦茶テンパっとるんでうまいこと紹介できんのやけど、実践に基づいた話は確たるもんであり、とりあへずご一読を願いをり。
私自身がもともと記者稼業を生業としていたこともあって、今のマスコミ屋さんの堕落しまくった情況に対して我慢ならぬものがあるんだけれども、云ふなれば、自身が波風受けることのない位置にあって評論家然とした物言いを弄することしか出来ぬ輩が、あたかも「知識人」の如き面さげてウロウロしとるっちゅうのが、しょーもないこっちゃけど世の現実でっさかいなあ。
詳細→ http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/a%20street.html


【逃した魚は】
依然、年度末テンパリ最中にあって烏賊諸々。
ついこの間、ウチで出した某書籍が何を間違うたのか、ある文学賞の最終候補に残ったといふ連絡が入った。その文学賞は公募と推薦の二つルートがあるんだが、少なくとも、著者もわても応募した事実はない。結果を先に云へば最終ですべった。とはいふものの、結果はどうあれ、まあそれはそれでええんちゃうのんなんて版元のアフォしゃちょーは呑気なことぬかしとる次第、である。

少し前までの私にとって、賞罰なんてものは全否定の対象だった。賞罰なんて受ける側の評価を高めることよりか、むしろ、それを出す側の権威を高めることを目的としたものである。結局のところ、出す側が「ためにする」ものでしかありえない。その本質は昔も今も変わらない(以前某賞を逃したとき、そんなことばっかし云ふとるからバチが当たったんぢゃと云はれたこともある。それはそれで当たっとるかもしれん)。
それが今は何だらうねえ……どこで転向したのかそれとも悟ったのか、アフォな版元のオッサンはここ数年、賞罰の候補にあがること自体それはそれで有り難いとか何とか云ふて憚らない次第、である。細々したことはさておき、その世界の本職が実際にモノを見てそこそこに評価してくれたこと自体ありがたい。だってね、下手すりゃ……否、下手せんでも、どんなええもん出したところでまったく相手にされんことのほうが多いんですよ、地方出版といふやつは。寂しさと向い合うこと、それが地方で仕事をすることの根本だ。それを思へば、こうして相手にされとるだけマシなんちゃうか、とか何とか。
ともあれ、でっかい賞を最終で逃したのはこれで2度目。3度目の正直があるかないか、何ぞ起これば一喜一憂しさうなもんだが、出すも出さぬも先方の考え一つでしかない。とどのつまり、どう転ぼうがワシの知ったことではない。