累々たる屍。

mizunowa2010-07-15

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Oさん差し入れ鯵の続き。タタキいってみやう!


【まともな本は、紙の本であらねばならぬ】
「窓の微風――モダニズム詩断層」(季村敏夫著)人名索引取り籠城5日目。まだ終らん。ほかの仕事が手につかん。
まともな索引をとれば、手間と頁と経費は確実に増える。作り手の体力は消耗し、神経はちびる。だからといってその分定価にのせることもできん。これがあったとて、歓迎する読者の数はしれとる。こんなん要らんとまで宣ふ輩も居る。だが、索引がなければまともな本とは呼べぬ(ま、一概には云へんけどね。必要のないケースも多々ある)。
こんなことせーへんでも、電子本やったら検索なんぼでもできるやんけ〜と宣ふ輩も居てる。でも、それは違ふんだな。人名にせよ地名にせよ事項にせよ、これらはすべからく情報である。一見無関係にみえるこれら情報が紙の上に一覧として並ぶことにより、読み手の記憶を攪拌する、すなわち、読み手自身による再編集をも喚起しうる。それだけの秘めたる力、それは紙の本でなければ持ち得ない。まともな本は、電子本ではなく紙の本であらねばならぬ所以、である。


【累々たる屍】
神戸阪神間モダニズム詩人なんていふたら、お洒落なナントヤラといった、ある種ステロタイプ化されたイメージばかりが先行するきらいがあって好まないのだが、「窓の微風」はそんな期待を見事に裏切ってくれる内容、である。ある者は殺され、ある者は人を殺し、ある者は気が狂い、ある者は行方不明。一冊の詩集も残すことなく此の岸から消滅した無名の詩人、かれらは消滅させられたのか、それともあえて自ら消滅を選んだのか。そして、現世に存在した筈の詩誌そのものが跡形もなく消し去られた事実をどうみる。残るは累々たる屍、否、屍すら残ってはいない。事態は残酷極まりない。

「窓の微風」所収、村山知義による「マヴォの宣言」より以下。
「私達は尖端に立つてゐる。そして永久に尖端に立つであらう。私達は縛られてゐない。私達は過激だ。私達は革命する。私達は進む。私達は創る。私達は絶えず肯定し、否定する」


「窓の微風――モダニズム詩断層」(季村敏夫著)
7月30日出来予定、500頁超。定価税込3990円ナリ。
http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/breeze.html