返品本の処分。

mizunowa2010-11-16

朝から晩まで返品本の整理に明け暮れる。ペーパーバックは殆ど再利用不可能。読む分には差し支へないとはいへ、ショタレ本を他人様に贈呈するわけにもいかんし、処分するほかに手がない。「spin」のバックナンバーは今回30冊くらいかな、胸が痛むが処分せざるを得なかった。
地方小の担当さんに聞くと、都内の書店さん(とはいへ、「spin」が売れるのは特定の書店さんに限られてくるのだが……)が1軒あたり5部とか10部とか持っていくんですと、市ヶ谷の倉庫から。書店さんは売るつもりで並べてくれてなんだが、結果は芳しくない。すると売れんかった分が戻ってきよる。号によっては納品したうちの半分近く、場合によっては半分以上が取次から戻ってくる(だからと云って、あんまり納品数を減らすわけにもいかん。書店さんも読者に手渡すつもりで注文してきてはるわけだから)。
今回が最終となる「spin 08」は刷部数を600に減らした。贈呈分など差し引けば、販売にまわすのは実質400部程度である。最後のサイン本仕込みのため、120部はすでに外してある。地方小に90部、JRCに100部納品し、直扱いの書店さんと定期読者に宛てて送り出せば、版元には10数部しか残らない。
おそらく、今回の号も3、4ヵ月から半年後にかけて取次からどかっと戻ってくるだらう。勿体ないが、殆ど廃棄するほかないと覚悟はしている。


以下。本日付、わての「spin 08」謹呈挨拶状より。

拝啓 秋冷の候、ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。
「spin 08」謹呈いたします。拙文「島びと三代の記」は、4年前の中国新聞文化面「緑地帯」8回連載の「原文」に、最小限の加筆修正を施したものです。
新聞発表分は、媒体が媒体だけに致し方無しともいえるのですが、紙面で使うことのできない用字用語の置き換え、また、「わかりやすく」という大義名分のもと、担当デスク氏による、私なら断じて書くことなどありえない一文の書き足しもありました。全体から見れば微々たるものではありましょうが、人文書の編集に携わる者としては失敗作としか云いようのない仕上がりに終わりました。「spin」を終刊するにあたり、原稿を成仏させるために収録に踏み切った次第です(担当デスク氏の名誉のため付け加えておきますが、個人の編集能力がどうのこうのという問題ではなく、新聞自体が、この程度のものなんです。だからこそ、まともな文章は紙の本という形態をとらなければ、世に出すことはできないのです。それと、誤解を与えがちな物云いではありますが、本を読んだくらいでわかるはずがない、いや、わかってたまるか、と私は考えます。小社の編集方針の基底でもあります)。
残念ではありますが、「spin」はこの号をもちまして終刊となります。半年一度の刊行を心待ちにしてくださる読者の方も彼方此方に居ってでしたが、実売の伸び悩み、就中05号以降のジリ貧は目を覆うばかりで、制作費をカバーできるだけの読者が確保できないときた日には、退却もやむなしです。
編集長の林哲夫画伯とも何度か話をしたのですが、潮時というものがあるのでしょう。「今回の季村(敏夫)さん(の特集)、読むのが楽しみです。最後を季村さんで飾れたのは良かったと僕は思っています」という文面を、尊敬するある文学者から戴きました。やはり、潮時というやつなんでしょう。
小社も、いつまで続けられるかわかりません。「島―瀬戸内海をあるく」「宮本常一離島論集」「宮本常一写真図録」など、逐次刊行を維持せねばならぬ責任は年々重くなれど、情況はさらに厳しく、出版界自体が縮小に向かっているなかで、地方の零細版元がどうやって生き延びるか、これは難題です。
それでも本屋は本を作るしかありません。「spin」は消滅しますが、小社自体は何とか持ちこたえていく所存ですので、変わらぬおつきあいのほど、よろしくお願い申し上げます。