「My Private Fukushima 報道写真家福島菊次郎とゆく」(那須圭子 写真・文)一昨日校了。当初予定より早く、7月25日頃出来見込。
予約受付中。特価、7月末まで。
http://mizunowa.com/book/book-shousai/fukushima.html
以下、本文、冒頭より。著者の許諾を得て掲載(上記アドにも掲載)。
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あの日、福島第一原発から外界へと放たれた見えない雲は
ひたひたと音もなく拡がり続け、やがてこの国全体を覆った。
「原発反対!」と官邸前へつめかける人の群れ。
「だまされていました」と福島県の首長たち。
「国が悪い!」「東電が悪い!」の声は大合唱となった。
ヒロシマを撮り続けてきた報道写真家、福島菊次郎さんと
祝島の原発反対運動を撮り続けてきた私は、
それぞれが、おそらく少し違う理由から、
胸もとにつかえた何かが日に日に大きくなっていくのを感じていた。
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瀬戸内の小さな町の裏通り、
福島さんは愛犬ロクとひっそりと暮らしていた。
九十歳。
「もう、僕の中では秒読みが始まってるの」
聴力はとっくの昔にほとんど失っている。
視力もすっかり衰え、もう写真は何年も撮っていない。
カメラは棚の上で埃をかぶっている。足もともおぼつかない。
しかし、あの日からテレビにかじりついてフクシマを見守った。
ヒロシマと同じことが、また繰り返されようとしている。
アジア侵略の拠点であった軍都ヒロシマは、ひとたび原爆が落とされると
都合の悪いことはすべてひた隠して、その日から被害者となった。
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一方、私も既視感(デジャヴ)に捕われていた。
それは、将来感じることになるかもしれない既視感だった。
私が撮ってきたのは、
上関原発の建設に三十年間抗ってきた祝島の人たちだ。
彼らの前に立ちふさがったのは、
推進派の町長と住民たち、中国電力と山口県、
そして、その後ろに見え隠れする国だった。
しかし、一番祝島の人たちを孤立させてきたのは、
県庁や中国電力の前で座り込む祝島の人たちを
横目で見て見ぬふりをして、足早に通り過ぎるその他大勢の人たち、
おそらくは善良な、ごく普通の人たちではなかったか。
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十年後もしも上関原発ができあがり、事故を起こしたら、
推進派の町長や住民はもちろん、
代々原発を推進してきた山口県知事も、こう言うにちがいない。
「だまされていました」
そしてあの、その他大勢の人たちは言うだろう。
「国が悪い!」「中電が悪い!」
「原発反対!」と。
私もきっとその中の一人だった。
偶然山口へ来て、原発の真実に出合わなければ。
フクシマへ行きたい。
福島さんと私の中で、その思いが日増しにふくらんでいった。
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二〇一一年秋、
福島さんと私は東北新幹線の中にいた。
福島駅が近づくにつれて、
福島さんは口数が少なくなっていった。
これは、
わたしたち二人の
たった二日間のフクシマの記録だ。