現代の眼になる「あるくみるきく」再版。

mizunowa2006-09-01

「沖家室 瀬戸内海の釣漁の島――あるくみるきく195復刻」(森本孝・須藤護・新山玄雄著/沖家室開島400年記念事業実行委員会編)の記事が、8月31日付中国新聞に載った。御蔭様で、昨日今日の2日間で十数冊客注が入った。ありがたやありがたや。

■2006年8月31日付 中国新聞文化面より


【取材・執筆】
佐田尾信作(中国新聞文化部/みずのわ出版刊「宮本常一という世界」「宮本常一 旅の原景――なぎさの記憶2」著者)


【見出し】
宮本常一の発想凝縮
観文研のPR誌「あるくみるきく
山口・沖家室島特集号を再版
「若者の旅の手引に」執筆者


【本文】
 山口県周防大島出身の民俗学者宮本常一(1907-81年)が初代所長を務めた日本観光文化研究所(観文研)のPR誌「あるくみるきく」。22年間に発行された263冊のうちの一冊「瀬戸内海の釣漁の島・沖家室(おきかむろ)」が、みずのわ出版(神戸市)から再版された。「あるくみるきく」は宮本の考え方を象徴する言葉でもあるが、PR誌という性格上、88年の休刊後は入手困難な「伝説の雑誌」になっていた。


 観文研は近畿日本ツーリストが66年に設立し、89年に活動停止。旅を通じた地方文化の復権が大きな目的だった。給料を支払う常勤者は最小限に抑え、初めて原稿を書く若者、使える原稿が書けるかどうか分からない若者に旅費や原稿料を支払って取材させ、宮本ら編集陣が辛抱強く鍛えた。これが宮本の方針であり、「旅費付きの大学院」とも呼ばれた。


■海外の辺境も取材
 「あるく…」はこうした手法により一冊一テーマで編集。分野は民俗、風土、芸能など幅広く、日本列島各地はもとより海外の辺境にも足を延ばした。中国地方の特集号は「芸予叢島」「豊松ぶらぶら」「山と猪と狩人と―周防の玖珂山地」など20冊があり、周防大島の属島、沖家室島(旧東和町)を取り上げた「瀬戸内海の釣漁の島・沖家室」(83年)はその中の一冊になる。
 執筆者は、いずれも当時、観文研所員だった海外漁業コンサルタント森本孝さん(60)=千葉県船橋市=と龍谷大教授須藤護さん(61)=大津市。森本さんは「海から見た沖家室」と題して、明治以降、ハワイや朝鮮などへ出漁した一本釣り漁民の歴史を説き起こし、須藤さんは「陸から見た沖家室」と題して独特の漁家の家並みについて解明した。いずれも「東和町誌」を監修した宮本の意向を受けていた。


■レイアウトを一新
 今回の再版は同島が今年、「開島四百年」を迎えたのがきっかけ。島出身者の子孫である版元の柳原一徳さん(36)が、当時から執筆者と交流があった400年記念事業実行委員会会長の新山玄雄さん(55)=泊清寺住職=に働きかけた。底本のままの再版ではなく、レイアウトを一新。写真を選び直し、誤記を改め、索引や新山さんの解説を付けた。
 「あるく…」が再版されるのは休刊後初めて。須藤さんは「あるく…」は素人の目で丹念にものを見つめさせ、一冊ごとに時間をかけて考察・推敲していた、と振り返る。「今の若い人たちが旅を通して一つの問題に取り組み、解決方法を見つけ出すためのテキストになればいい。また、『あるく…』は結果の報告だけでなく、取材・調査の“手の内”も見せており、宮本流のものの見方や考え方が伝わってくる」とみる。
 柳原さんは「校正ミスは多いが、編集自体は丁寧で一つの時代の勢いがある。雑誌の存在自体を知らない人も多くなった。各号の内容をしっかり押さえ、地域の再発見などにつなげてくれそうなフィールドを選んで、今後も一冊ずつ再版を手がけたい」と構想を練っている。


 再版は「沖家室 瀬戸内海の釣魚の島」と改題し、沖家室開島400年記念事業実行委員会編。A5判、102ページ、1365円。みずのわ出版Tel078(242)1610(ファクス兼用)。


■沖家室島
 1606(慶長11)年、伊予国河野氏の遺臣が興居島(現松山市)から無人島だった島に定住。明治期には人口3000人を超え、出稼ぎ漁と海外移民が盛んになる。大正期から昭和初期の動きは、2001年から復刻作業が始まった同郷誌「かむろ」からうかがえる(3巻まで既刊)。今年3月末現在の人口187人。83年に沖家室大橋が開通し、周防大島と陸続きになった。


【写真説明】
(1)森本孝さん
(2)須藤護さん
(3)「あるくみるきく」195号「瀬戸内海の釣漁の島・沖家室」の底本㊧と再版本


宮本常一、アフリカとアジアを歩く」(岩波現代文庫)所収の「東アフリカをあるく」(宮本常一)と「宮本先生とあるいた四四日間」(伊藤幸司)は、「あるくみるきく」107号(1976年1月)の特集「宮本常一 東アフリカを歩く」を底本にしている。この本は、東アフリカ、済州島、台湾、中国、の4章構成となっており、特集1号分だけで1冊にまとめたものではない。同じく岩波現代文庫の「空からの民俗学」は、「あるくみるきく」の連載「一枚の写真から」で1章を構成している(いずれも文庫にしては定価が高めだが、オススメ本だよーん)。
〈「あるく…」が再版されるのは休刊後初めて〉と前掲の記事にあるが、「あるくみるきく」の複数号と他の媒体で発表したものをまとめた「宮本常一、アフリカとアジアを歩く」も、厳密にいえば「あるくみるきく」の再版ということになる。だが、作り手としてはあえて今回の「沖家室 瀬戸内海の釣漁の島――あるくみるきく195復刻」を「初めての再版」と云いたい(同時に、そこのところが記事の要諦でもあろう)。
たとえば、雑誌や新聞の連載を一冊にまとめた場合、当然ながら出来上ってきた本は底本であるところの新聞・雑誌(という媒体)とは別の生き物になる。そこが出版の面白さであり編集者の腕の見せ所なのだが、それとは異なる展開があってもいい、と思う。
一号一特集の雑誌を、こうして当時の企画そのままに、且つ現代の眼を注いで単行本として甦らせるということは、「あるくみるきく」という雑誌のもつ存在感そのものをいまの読者に提示することだと考える。有り体に云えば、263号出たうちのわずか1号ではあるが、「あるくみるきく」という雑誌のもつ雰囲気を直接読者に伝えたいのだ。
今回の「沖家室特集」のみにとどまらず、この先十何冊と再版が実現し、それらがずらーっと並んだ時に初めて「あるくみるきく」という媒体と、それが成り立ち得た時代が私たちの眼前に明確に提示されるのではないか、とも思う。

――先は長いのう。