私家版「こころの匣」出来。

mizunowa2013-01-19

フェイスブック自社ペイジ、より。


「こころの匣」(限定200部+特装版2部、非売品)の製本があがってきた。物語の舞台は上州前橋。地方の一家族の辿ってきた歴史から時代相がみえてくる。非売品とはいへ、こういった地味な本を「形あるもの」として残すのも、地方零細版元の大事な仕事の一つ、である。
著者・発行者の伊藤伸子さんには、4年前に小社から刊行した「手紙が語る戦争」(女性の日記から学ぶ会編、島利栄子監修)に「戦地から届いた兵士たちの葉書(一)」を寄稿して頂いた。戦時下を生きぬいた人は違ふ。それと「声高でない」といふこと、これにまさる説得力はない。


表題 こころの匣(こばこ)
著者 伊藤伸子
装幀 林哲夫(画家/「sumus」「spin」編集人)
製作 みずのわ出版山口県周防大島町
印刷 株式会社国際印刷出版研究所(大阪市
製本 免手製本株式会社(東大阪市
判型 四六判糸篝丸背上製本 カバー装 256頁
発行日 2013年1月25日


[用紙/刷]
ジャケット ミセスB オフホワイト 四六判Y目 135kg 4°(PPなし)
表紙 NTラシャ ベージュホワイト 四六判Y目 100kg K/1°
見返し NTラシャ 灰鼠 四六判Y目 130kg
別丁扉 NTラシャ うすクリーム 四六判Y目 100kg DIC462/1°
本文 ラフクリーム琥珀N 四六判Y目 66.5kg
ヘドバン A9
スピン A5


目次

1 ふるさとの空は遠く
土佐と上州――祖父小谷春樹の生涯を追って/押し絵雛の復活

2 ちちのみの
父の句帳/名を呼ばれて

3 ははそばの
母と旅して/母の眉/今年の牡丹/お祈りをたくさん/のれん/関東大震災

4 はらからと
死への準備教育/たまご考/十歳のころ/兄は「断想三六六」の中に/神様のなさること/「いちご会」の友

5 戦時下の青春
活動写真と芝居/蜘蛛の糸/ある墓参/追悼 山田かつみ先生/写真の語らい/「あんこ」の話

6 長い回り道
過ちを繰り返さないために/「ことば」と私/白い小石/敷衍/夢の空間/沖縄の旅/ドイツに旅して/ゴッホの瞳/歌曲集「智恵子抄」を聴いて/母の祈り

7 うるわしき朝も――前橋中部教会会員として
わが内なる天皇制/ささやかな備え/女性の家「HELP」とは/初めての試み――夏の夜のコンサート/蝋の滴り/訊き上手/うるわしき朝も/妹との別れ/市民科学者として生きた人

8 読書の灯――創美読書会の歩み
島崎敏樹著「生きるとは何か」を読んで/生活の一部となった読書会/家永三郎著「太平洋戦争」を読んで/仁木悦子編「妹たちのかがり火」を読んで/別枝篤彦著「戦争の教え方」/読書の灯


著者あとがき、より。

 3月に末の妹大島瑞枝を天に送ってからの私は、体調を崩してしまい、自分に残された時間も少なくなっているではないかとさえ思い始めていた。85年の過去を振り返れば、悔やまれることばかり多く、神様のお召しはいつ来るかわからないのに、何をしておけばよいのかと焦った。
 5月に妹夫妻の納骨を済ませるころには、やや体調も回復したので、6月に開催された「女性の日記から学ぶ会」の出版記念会に出席した。15年の歳月を費やした『吉田得子日記』の出版を祝う会の終了後、久しぶりにお会いした、みずのわ出版柳原一徳社長にご挨拶したとき、私の口から「印刷して残したいものがあるのですが」という言葉が出てしまっていた。いつそのような決心をしたのか自分でもわからないが、記念会の活気に背中を押されたのかもしれない。
 突然の話に驚かれることもなく、柳原さんは、「原稿を送ってみてください」と名刺をくださり、後戻りはできなくなった。
 最初に、小学校時代と女学校時代の作文を自分でワープロに入れて製本した『立川町四十二番地の日々』上下と祖母と父への追悼文集『渓の巨木』を送った。その後、手元にある四、五十篇の雑文を送った。それは、洗礼を受けて45年経つ教会生活のなかで綴ったものと、50年続けている読書会の感想文や活動報告で、短文ばかりの雑然としたものなので、こんなものが本になるのかしらと不安でいっぱいだった。
 ところが柳原さんは、9月11日には周防大島から前橋まで打ち合わせに来てくださり、私の目の前で、魔法使いのように章立てをしてくださった。
 作業が進む中で、社会的に活動をしたわけでない者の雑文には、テーマもなく、タイトルもきめられないことに悩んでいた私に、ふと、思い出した光景があった。
 それは、誰にも明かせない辛さを抱えて暮らしていたころ、夜、やっと一人になった私が、暗闇の中で両手を囲って包み込むようにしている姿だった。そこには空気があるだけなのに、私には匣(こばこ)が存在した。そっと覗き込む手の中の匣には、キラキラと輝くような宝物が入っていた。父母、きょうだい、恩師、友人、生まれてからずっと私に関わってくれた大勢のひとからいただいた宝物。「これこそ一番大切なものだ。これを傷つけてはならない。誰にも渡さない。貶めることは許さない。これさえあれば明日も元気に生きられる」こころの中でつぶやくと少し微笑むことも出来た。
 今回ここにまとめた文は、あの、見えない匣の中から取り出したものに違いない。と、気がついた。どの文章も、その時点で私の一番大切なもの、大切にしている考えを書いてきた。見えないけれど「いつもこころの底にある匣から取り出した言葉」それが共通なテーマではないか。皆様からいただいた宝はこんなに沢山ありました。とお礼を言うために形に残し、私はこれを持って棺に入りたかったのだと納得し、タイトルも決まった。
 戦争が終わって平和な世の中になってからも、平坦ではない道を歩んできたが、神様は、見えないみ手で私を守り支え、逃れの道を備え、ここまで生かしてくださったことに深く感謝している。
  2012年 アドベント