度し難き植民地根性。

防予フェリーから見上げた大島大橋。左側が大島、中央は笠佐島。1月19日夕刻。

2月4日付日録より抜粋。
「本とみかんと子育てと」(2021年1月刊)の続き、来年刊行するつもりで支度を進めている。おそらく1000頁を超える。子供らの先行きを憂うからこそ、書き遺さねばならぬ。

IWAKUNI日米合同交流コンサートというのが、今日(4日)午後岩国で開催される。米空母艦載機部隊配備特別交付金(2021年度までは米軍再編交付金といった)の交付を受ける岩国市、和木町、周防大島町大竹市から各1校園、米軍岩国基地から2校が出演する。岩国市のサイトには「中国四国防衛局が、在日米軍人等及びその家族と基地周辺住民の方々との相互理解を深めるため、スポーツや文化活動を通じて交流する事業を実施しており、今般、岩国市において日米の文化交流事業を下記のとおり開催することとなりました」と書かれている。このコンサートに安下庄小学校が出演することになった。学校行事とはいえ参加は強制ではない。
日本は戦争と戦力を放棄した国だ。米軍は人殺し集団だ。では何故他国の軍隊が日本に駐留して我が物顔で犯罪おかしまくっているのか、それは君がもう少し大きくなってから説明するが、兎に角この世は不条理に満ちている。少なくとも、人殺しとは席を同じくせずだ。ワシは悠太にそう話した。アホみたいな安下庄小学校150周年記念ソングを歌わされるのは嫌やと言って悠太は参加を拒んだ。理由は違えどまあええかと思い、不参加と書いて学校に提出した。
昨日学校で明日のこと(今日のコンサート)が話題にのぼった。クラスのほぼ全員が参加するのだと。確か一人二人くらいだったかな、参加しないのは。みんなでお出かけ、バスに乗っておべんと食べて、まあこりゃ遠足だな。ワシも行きたかったといって悠太が昨夜泣いた。あのな、ワシらとヤツらは対等ではないんだぞ、それで親善なんて話通らへんやないか。米軍の軍人軍属が犯罪おかしても、まともな裁判もなく、無罪放免されるんだぞ。それがまともな独立国、法治国家といえるのか。それやこれや話した。我慢することを覚えろと、かーちゃりんに叱られた。子供の愉しみを奪って鬼悪魔とまで言われた。でもね、やっていいことと、やったらあかんことがある。お前ら、そんなこともわからへんのんか? 自分の感受性くらい自分で守れ馬鹿者よ。茨木のり子を読んでからものを言えや。とかなんとか。
そもそも、学校の先生方にまるで問題意識がない。日米地位協定をどう考えるのか、と訊ねても、おそらく、はぁ? てなもんだろう。先生方が、平和も、人権も、文学も、大切なことは何にも話さない。
話ついでに。学校の給食、大島の小中学校ではいまだ黙食を通している。もはや人間の食事ではない。エサだ。
コロナ対策の基本的対処方針で「黙食」の記述が無くなった。昨年11月、文部科学省は適切な対策を行えば給食事の会話は可能とする通知を都道府県の教育委員会等に出した。それが、この島には届いていない。先生方が新聞もテレビも見ーへんのんかもしれん(2月6日追記。今春の卒業式や入学式ではマスク着用を推奨しないとする指針を政府が示した。それに関わっての永岡桂子文科相の記者会見が6日朝テレビで流れた。記者の質問に対し返答に窮し、貼付きの官僚に知恵つけてもらっているシーンがそのまま流れた。自分の言葉でものを語れない。先生だけではない、政治家もレベルが低すぎる。このシーンを電波にのせたディレクターに意図があったのかなかったのかはわからないが、こんな時、映像の力を痛感する。文字では、この為体は伝わりにくい)。
柳田国男の方言周圏論を考える。言語学のうえでは誤謬が指摘されて久しいが、古い指令が僻地にこそいつまでも変らず残るってのは、社会学としては成り立つようにも思う。ルーズソックスが東京より2年遅れて奈良で流行った(その頃既に東京ではブームは去っていた)。それにも通底する。
僻地の学校教育、もう終っている。学校が駄目なのは今さらどうしようもない。親が踏ん張るしかない。

宇部の海底炭鉱のこと、など。

10月下旬の寿太郎園地
2月2日付日録より一部抜粋。
4時半頃悠太が学校から帰ってくる。ジョン・レノンオノ・ヨーコ「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」「イマジン」のCDをかける。趙博が唄う「鉱夫の祈り」(詞・曲 高田渡)、「死んだ男の残したものは」(詞 谷川俊太郎/曲 武満徹)も聴かせる。軽薄アホあほしい安小150年の記念ソングとはまるで違う。作り手・歌い手の哲学がある。美しい旋律と詩にこそ、差別や殺戮、不条理への深い怒りが込められる。だから聞き手の心に突き刺さるのだ。そんなことを話す。
 「鉱夫の祈り」の背景として、去年の夏に訪ねた福岡県の田川を記録した筑豊炭鉱絵巻や、宇部の海底炭鉱の話もする。1942年(昭和17)2月3日、宇部の長生(ちょうせい)炭鉱で、海水流入による水没事故が発生した。犠牲者183人のうち136人が、当時日本帝国主義による植民地支配を受けていた朝鮮半島の出身だった。遺骨はいまも海の底にある。もう一つ忘れてはならぬ、保育園や小学校の遠足で行く宇部の常盤公園ってのは、実は炭鉱の遺構なのだ。日本の近代化も、無謀な戦争も、戦後の復興も、炭鉱が支えた。黒いダイヤと呼ばれた石炭を掘り出すため地の底で危険な作業に従事する鉱夫たちの命は資本にとっては交換可能な部品でしかなく、それは檸檬一個より軽かった。この歌を作った当時の高田渡は二十歳そこそこの青年だったが、自身の幼少期から青年期にかけての苛酷な境遇もあり、底辺に暮す人々の苦しみを、身に染みて理解していた。人間への共感と不条理への怒りが美しい旋律と詩を生み出す。世の中にはな、知らなければならないこと、知らなければ恥ずかしいこと、ものすごい表現者のものすごい仕事、仰山ことあるんや。この大島でだらだら過ごしていたのではなんにもわからへんのや。
 どうや、宇部に炭鉱があったなんて知らんかったやろ。
 ――知らんかった。
 小学校の中学年って、県内の色々のことを習うよな、地域学習と称して。何を習うとるんや。
 ――吉田松陰
 そんなん学ばんでええ。山口県で地域学習と言うんやったら宇部の海底炭鉱は外せない。それがまるで出来もせん。だから今の先生方は駄目なんだよ。かつてワシらが習ってきた先生方とはまるでレベルが違うんだ。哲学が無いってのは、そういうことなんだよ。

周防大島の豆茶と茶粥。

エビスグサ(豆茶)の花。

発芽。

豆茶。

豆茶(世間一般では「はぶ茶」)について、問合せの入ることがたまにある。
小社では、豆茶の産直を不定期で継続している。道の駅や農協の直売所より高いめの価格設定である。莢剥き、焙煎の手間が大きい。バカ安特価では持ち出しになってしまう。かといってあまり高い値段はつけられない。ゆえに、大した儲けにならない。
市販の豆茶は焙煎が浅すぎる。ガス代をケチっているのかもしれない。これでは美味かろう筈がない。
スーパーなどでは中国産の「はぶ茶」が広く出回っている。同じ「はぶ茶」ではあるが、ワシが作る豆茶とはまるで別ものである。種子の形状や大きさも微妙に異なる。北米大陸から中国を経て日本に入って来たものだが、長年の栽培により大島の気候風土に合ったものに変化してきたのだろう。
こぼれた種子から発芽、畑のへりで勝手に育つので、特に世話は要らない。年寄りが亡くなった、核家族、共働き、家庭菜園を作らない家が増えた、などにより、豆茶を作る家が減っている。大島に住んでいても、豆茶とか茶粥を知らない人が少なくない。こうして地域の食文化は廃れていく。
みかん畑の中に生えてきたんだが、これって何なのか? と、新規就農者に訊ねられたことがある。これは豆茶よ、あれば役に立つよ、でも豆茶は肥しを食うからその分みかんに強いめに肥しをふっておくとか、農薬がかかるとよろしくないからドリフト(飛散)に注意するとか豆茶の生育期に農薬そのものを外すとか、諸々工夫が要るよと教えた。どうなったかねと後日訊ねたところ、全部刈り取ったと言うていた。アグリ・インダストリアル(農・産業)ということ、みかん以外に関心が向かないってのも何だかつまんねえことよ……と思ったりもした。


以下、小社の豆茶販売案内より転載。

豆茶の沸かし方
小社の豆茶は、焙烙(ほうろく)で1時間焙煎して味と香りを引き出している(市販品はおしなべて焙煎不足である)。ティースプーン2杯(約5グラム)の豆を市販のお茶パックに入れ、2リットルのやかんに入れる。水から沸かす。沸騰したら吹きこぼれない程度に火を弱めて、5分程度煮出す。ホットでもアイスでも美味しい。やかんに入れっぱなしにして、だんだん濃くなる味の変化を楽しむのもよい。周防大島の伝統的食文化の一つ、上質なコーヒーに通ずる香りがある。

周防大島ソウルフード、茶粥の作り方
茶粥の食文化は和歌山県奈良県、瀬戸内島嶼部に広がるが、それぞれ作り方に違いがある。ティースプーン4杯(約10グラム)の豆を、市販のお茶パックに入れる。水1升とお茶パックを深めの鍋に入れて沸かす(豆茶のほぼ倍の濃さで沸かすことになる)。沸騰後数分煮立ててお茶が十分に出たところで、白米(ぬめりがうまみとなる。米をといではいけない)1合3杓を入れる。具材としてイモ、団子などを入れる場合は、白米の量を1合程度に減らす。火加減は、初めから終わりまで強火で通す。火力が弱いと美味しく炊けない。サツマイモ、カンコロ団子、米団子、メリケン団子などを入れる場合は、米を投入して10分くらい後に入れる。サツマイモは割るイメージで切る。あぶくが落ち着いてきたら出来上がり。最後にお茶パックを取り出す。炊きあがりの米が少し硬いくらいが美味しい。米の腹が割れるのは煮過ぎ。個々の好みもあるが、仕上がり加減が難しい。米とお茶との比率もまた難しい。

蘊蓄
豆茶は一般には「はぶ茶」と呼ばれるが、ハブ草とは別ものである。ここでいう豆茶とは、エビスグサの種子を指す。漢方では決明子ケツメイシ)という生薬で、便秘、排尿障害、目の充血、高脂血症・高血圧など生活習慣病の予防や改善に効果があるとされる。北米原産の一年草で、中国を経て日本に伝わった。江戸期の百科事典「和漢三才図絵」にも記載がある。ちなみに、カワラケツメイとはまた別ものである。

追記。
拙著「本とみかんと子育てと」に、豆茶と茶粥の食文化が明治期周防大島から対馬へ伝播した経緯を記している(2020年3月、対馬取材行)。

周防大島のみかんの、危機的状況。

画像は去年のもの。寿太郎温州。左が良玉、右が品質劣化玉。気候変動に対応した優良品種とされる寿太郎にも、気温上昇の影響が出る。


2021年刊の拙著「本とみかんと子育てと」の続きの日録をつけている。来年か再来年に刊行する。根詰めて書いた文章はネット上には掲載しない方針だが、大島のみかんの危機的状況の一端を知らせるべく、あえて掲載する。

★★
 日録 書きかけ 11月16日(水)旧10月23日 晴
朝は寒いがひるま暑い。昨日も書いたが、ネットの2週間予報では、昼間の高温(最高気温18~21度)が途切れず続いている。
安下庄アメダスより。昨日の日平均気温13.1度は、2000年平年値では11月16~17日、2020年平年値では11月17日の値である。なんだほぼ平年並みかとダマされてはいけない。
昨日の最高気温19.7度は2000年平年値では10月28日、2020年平年値では11月3~4日の値。昨日の最低気温6.8度は2000年平年値では11月28~29日、2020年平年値では11月30日の値である。今年の秋は去年以上に最高気温が高く最低気温が低い。こうなると、平年並みの平均気温とか平年以下の最低気温はもはや問題にならず、春からずーっと続く高温と、みかんにとって重要な最後の着色時期の超絶高温が諸悪の根源とて、そりゃあろくなみかんが出来へんのも道理と合点がいく。

★★
 日録 11月15日(火)旧10月22日 晴時々曇
 朝から岩崎園地で外来アサガオ除去作業にかかる。カラスの被害が酷い。着色不良が多いが、酷いやつは年明けまでならせても色はつかない。さくっと取込み、廃棄したつもりで農協にタダ同前の原料として出荷するのが賢明だ(畑に大量に廃棄してもすぐに土に還らないので処分に困る)。八分着色でも皮が浮いているものが多い。ネットの二週間予報では、昼間の高温(最高気温一八~二一度)がずーっと途切れず続いている。このままだと完全に色が着くころには皮が浮いて風船になっている。良玉の率は低いが、今のうちに救出したほうがよい。収穫が遅れると良玉までもが駄目になる。とか何とか考えて、10時過ぎから正午まで大津四号の収穫作業に切替える。180キロ取込む。商品にならない大玉が多いため、短時間で量が進む。
 朝晩寒いがひるまは暑い。シャツ一枚で収穫作業なんて考えられんけど、ウソのようなほんまの話。蚊がもぐれつく。カメムシが多い。
 午後かーちゃりん半休とって加勢。井堀上段園地の取残しを収穫、30分で30キロ。いい感じの小玉が多い。ここの大津四号は毎年良玉の率が高い。
 横井手下段園地に移動、四時半までかけて青島の老木3本から185キロ取込む。12日に25キロ先行で取込んでいる。計210キロ。1本あたり70キロになる。老木といっても、ここの青島は1991年(平成3)の19号台風の塩害による大量枯死を受けて緊急改植したものである。8年前(2014年)にこの園地を引受けた当時、各種作業が困難を極めるほどの密植になっていた。苗木を2~2.5メートル間隔で植えて、若木1本あたりの収量の少なさを本数で補うのだが、樹が大きくなって間伐を怠ると密植になり、日照阻害や肥料の競合、農薬のかかりむら等により樹体の成育不順と果実の品質低下を起こす。この園、初年度は全くいい玉が出なかった。酷い密植状態の写真を撮り忘れたのは失敗だったが、これでは仕事にならんとて、まず間伐から手を付けた。日照不足は顕著で、樹そのものが細かった。翌年しっかり実をつけると、実の重みで枝折れが続出した。古い樹は年々枯れていった。根接ぎで樹を作る温州みかんの寿命は、個体差はあるが大体35年程度という。いま大島で、就中安下庄で生産樹の中心となっているのは、19号台風被災の緊急改植で植付けた青島である。その多くが既に寿命を迎えた、もしくは迎えつつある。気候変動による猛暑暖冬寒波ほか極端な気候が、老木の衰弱に拍車をかける。毎年、もの凄い勢いでみかんの樹が枯れる、こんなこと今までになかったと、最近みなさんそのように言われる。うちの場合は、その現象が先行して発生した。私の前にこの畑を借りて耕作していた者の栽培管理の悪さから、樹が弱って寿命が短くなったのだろう、新苗を植えるよりも早く、旧い樹が次々と枯れていった。それはこの横井手の園地だけでなく、他の園地でも同様である。面倒みきれなくなり畑を荒廃させて放り出した、そうした産業廃棄物のような園地しか新規就農者には回ってこない。その点、3年前に取得した横井手の寿太郎温州園地は、多少の課題はあれど状態のよいうちに引継ぎができて助かっている。耕作をやめて他人に引継ぐにもタイミングが要る。体力の低下した年寄りがしがみつけばしがみつくほど畑を駄目にする。いまや大島のみかん畑は継続性のない一代限りのものになってしまった。いま無理して畑を守っている年寄りが死滅すれば、大島のみかん生産は事実上の終焉を迎える。
 話を戻す。今年結実させた青島の老木3本は伐採する。今年休みの2本は来年結実、伐採する。これで、この園地から老木が一掃される。
 4時20分に悠太加勢。横井手は大津四号の若木のみ残して一旦あがり、岩崎で大津と青島を取込む。3人がかりだと早い。30分で100キロちょい取込んで今日の仕事をあがる。岩崎も老木が減り収量が減った。岩崎の収量、12日と今日の合計で大津四号(若木のみ)227キロ、青島(老木と若木1本ずつ)70キロ。合せて約300キロ、人数×時間換算で3時間50分。ワシが引受ける前、老木密植の頃は、この園地2反(約20アール)で8000キロ収穫していたと聞く。道路用地に取られたため、現在稼働している面積は1反半。とすると、6000キロが300キロにまで減ったということだ。
 12日に収穫した地主A園地の在来温州の老木(今季限りで伐採)は、転作当初(1965年頃)植えたものであろう。立派な大木である。1本で150キロ(人数×時間換算6時間)も穫れた。みなさん、古い樹を伐らない。枝枯れが続発しても、完全に枯死するまで伐らない。植替えて10年やそこらでは収量は戻らない。そりゃそうだ、と思う。年寄の投げ出した園地の大半がポンコツであるのには、確たる理由(わけ)がある。

 

神戸文化支援基金のこれまでとこれから

公益財団法人神戸文化支援基金の創立30周年記念「こぶし志縁賞」を戴いた。ひと月前のことだが、神戸ハンター坂のギャラリー島田でこぶし志縁展「神戸文化支援基金のこれまでとこれから」(10月1~11日)が開催され、創業25年で出してきた書籍などを出展した。本を積み上げる展示は、かつて元町の海文堂書店の社長を務めていた蝙蝠社長のアイデアと聞いた。

画像提供=ギャラリー島田

カボス完売。

2022年度カボス産直。祖母の香(種子なし、新種)、大分1号(種子あり、在来種)ともに完売。みかん栽培を諦めた園地で新苗植付けを進めているが、果樹の増産は年数がかかる。

残暑の収穫作業は汗だく。玉が小さいので、なかなかコンテナ一杯にならない。低農薬栽培可能、病害虫に強い、気候変動の影響を受けにくい、日照時間の短い園地でも良玉が育つ、などの長所あり。気候変動による品質劣化深刻な温州みかんより、はるかに可能性があるとワシは考えている。
新聞紙にくるみビニール袋に入れて冷蔵庫野菜室で保管すれば1ヶ月以上もつ(しなびないうちに、黄色く着色しないうちに使い切る)。焼肉、焼魚、焼鳥、蒸し料理、鍋物、焼酎、紅茶、カボス胡椒、ポン酢、ほか用途色々。カボスの無糖炭酸水割りは夏バテ薬。搾り終えた表皮は入浴剤等に活用。茶碗蒸しや汁物の吸口にも使える。

カボスの味と香りは酸味と鮮度の立つ極早生・早生みかん、スダイダイは味の濃厚な晩生みかんに喩えられる。季節ごとに品種が変る。旬というのはよくできている。

「本とみかんと子育てと」が、第35回地方出版文化功労賞奨励賞を受賞。

まえがき 見本1

まえがき 見本2

索引 見本

日録本編 見本

柳原一徳著「本とみかんと子育てと――農家兼業編集者の周防大島フィールドノート」(みずのわ出版)が、第37回農業ジャーナリスト賞特別賞に続き、第35回地方出版文化功労賞奨励賞に選ばれました。

https://bookin-tottori.co.jp/35.html

 

本とみかんと子育てと 農家兼業編集者の周防大島フィールドノート
柳原一徳 著 A5判並製カバー装 671頁!
税込定価 3,300円(本体3,000円+税)ISBN978-4-86426-046-6 C0036

 

【目次】
前書―みかんの島で想う
みかんの島を守る/大島みかんの現状と憂鬱/みかん作業の心映え/旅の始まり、外の広い世界への憧憬/旅をやめる/空家修繕、家庭菜園を復活させる/みかんを軸に島の生活誌を編む/気候変動の害、災害級の猛暑/豪雨災害と除草剤の害―農業は環境を守るのか?/農民こそ文化人―住井すゑの言葉を反芻する/みかん一つで、大島が、世界が視える/紙の本であらねばならぬ理由

日録本編(2017年9月7日~2020年5月31日)

補遺

島の記憶と記録
島の記憶と記録、そして旅人宮本常一のまなざし/見んさい。蜜柑が喜うぢょる―梶田富五郎の記憶と島の畑と/海の民の記憶/ソウルからピョンヤンまで―植民地の記憶1/移民が移民を呼ぶ―植民地の記憶2
世代を繋ぐ仕事
性根を入れる/都会を見限る/不要不急だからこそ/経験知と書物知/人の営みの背景を知る/社会の主流から外れるということ/知らなければいけない/地方で出版をするということ/編集者の職業倫理/形あるものとして残す/世代を繋ぐ
リアル書店と取次の役割――目先の利益や利便性より重いものは

資料編
安下庄 2000年平年値と2010年平年値の比較/安下庄の月ごと・年ごとの降水量・気温と階級別日数/温州みかん防除暦/空から見た安下庄、みかん産地の変化
索引

著者 柳原一徳(やなぎはら・いっとく)
1969年(昭和44)神戸市葺合区(現・中央区)生。兵庫県立御影高校を経て旧日本写真専門学校卒業。1991年(平成3)奈良新聞に写真記者として中途入社。奈良テレビ放送記者等を経て、1997年神戸でみずのわ出版創業。2011年山口県周防大島に移転。みかん農家、写真館兼業。公益社団法人日本写真協会会員。2014年度、梓会出版文化賞30回記念特別賞受賞。編著書に「従軍慰安婦問題と戦後五〇年」「阪神大震災・被災地の風貌」「震災五年の神戸を歩く」「神戸市戦災焼失区域図復刻版」、写文集に「われ、決起せず――聞書・カウラ捕虜暴動とハンセン病を生き抜いて」(立花誠一郎、佐田尾信作共著)、「親なき家の片づけ日記――信州坂北にて」(島利栄子共著)など。

 

 

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