あなたは、ネーポンを知っていますか?

mizunowa2006-09-21

【写真】
謎の清涼飲料水「ネーポン」。ネーブルとポンカンを足したもので、果汁10パーセント。神戸・新開地の父母宅にて永久保存(の予定)。右側の瓶は見てのたうり中身が入っている。大枚250円はたいての購入から11年熟成を重ねたビンテージもの。すっかり色も変わってしまった。開けると怖いので誰も手をつけられない。


大阪は玉造にある日の出通り商店街を南へ突き抜け、環状線の高架沿いにしばらく歩いたところにアジアコーヒというサ店があった。いつの間にか店は消滅し、今はマンションが建っている。この店でネーポンという怪しげな飲料水が売られていると知り、楠中学校の同級T君と2人で探険に出たのは今を遡ること11年前、1995年秋の夕暮れのことだった。
学生の時分、中島らもの本で読んだのが切っ掛けだった(どの本だったか忘れた)。ネーポンの話も凄まじかったが、ここで珈琲を頼んだら明らかにポットのお湯で溶いた「ネ○カ○ェ」が運ばれてきた、砂糖をくれと云うたらプラスチックの容器に入ったスプーン印のあれをチリレンゲで掬って入れる羽目になった、シャブ中っぽいオッサンがからんできた等々……こんな店に1人で入るのはさすがに心細い。誰ぞ巻き込まなアカン。それで物数寄のT君を連れ出した。
商店街が途切れても、それらしき店は見えず。ほんまかいなと云われもってさらに進むと、暗闇に浮かび上がる「ネーポンインドカレー」の看板。「あ゛ーッ。。ネーポンや!」とT君が叫ぶや否や、「おうッお前ら! ネーポン飲んだことあるか、ネーポン!」と、如何にも怪しげなオッサンが飛び出してきて、何だか訳のわからんうちに店内に引きずり込まれた。
店内は6畳くらいで、テーブルが一つ。奧のほうに6畳くらいのスペースがあり、テーブルやら自転車やらざっかざっかと積み上げられている。殆ど物置。2人呆気にとられているとまた怪しげなオバサンが入ってくる。「おうッ! これなッ、ワシのオカンや、オカン! 84歳卯年や!」。
オッサンの名はツネオ。44歳卯年。

――で、アレですがな。肝心のネーポンどこにありますねん。
おう、せやせや。ツネオは冷蔵庫横のジュースの木箱をひっくり返す。赤いラベルの瓶ジュース。「ミス・パレード」と書かれている。
――これ、ネーポンちゃいまっせー。
あー。それ、中身同んなじや、とすかさずツネオが返す。
積荷の下の方からネーポンが出てくる。ラベルに「黄色4 青色5」と書かれてある。着色料の番号なんだらうが、何だんねんこれと訊ねたら「数字や、数字ッ」。

1本250円也。オッサン3人ネーポンで乾杯。冷えてへん瓶ジュースでっせ、念のため。さすがに、テーブルに伏せてあるコップを使おうとは思わなかった。どう見ても洗ろてへんしぃ……。あの冷蔵庫は一体……。
肝心のお味は……写専の近所で売っていたボンヌC(オロナミンCのバッタモンみたいな飲料水)と双璧。冒険飲料の鑑と呼ばせて頂く。


鶴が矢をくわえて飛んでいる柄の王冠を見て吃驚した。作っているのはツルヤ食品研究所といって、神戸市兵庫区兵庫町(三川口、門口界隈)にある。昔の記憶が甦った。間違いなく、兵庫小学校3年生の時、社会科の見学で行ったジュース工場だ。ネーポンは記憶にないが、ほとんど個人のお宅といった感じの町工場で、ラムネ瓶がずらーっと並んでいたのは憶えている。

昨日未明、呑み屋の常連の間で、たまたまネーポンが話題に上ったので思い出した次第。
それにしてもアジアコーヒ日の出通り店のインドカレー。怖いモノ喰いたさで、一度は喰うておくべきだった。