台風のなか「宮本常一写真図録 第1集」の作業。

mizunowa2007-07-16

【写真】
15日夕刻、周防大島伊保田港から松山・三津浜港に向かうフェリーより。
台風が四国沖を通過した直後で海上にはうねりが残っていて、船が盛大に揺れた。忽那の海は豊後水道のまっとおり。瀬戸内海とはいってもここは外海である。


【12日】
終日雑用。アジトを留守にする前はヘンに忙しい。六甲アイランド22時45分発のダイヤモンドフェリーに乗る。客数はそう多くはなかったが、クルマがかなりの混みようで積込みのため出航が遅れる。2日前の松山沖での衝突事故による緊急ドック入りで、並行する関西汽船が欠航した影響だらう。私も便を振り替えた一人、である。


【13日】
定刻より1時間程度遅れて松山観光港着。それでも、伊保田に渡るフェリーの出航時刻まで余裕がある。夜半まで酒呑んで寝坊して、それでも朝風呂浴びることができた分トクした気がする。一寸遅れたくらいでいちいち目くじら立てていたのでは船は楽しめない。


今回の帰省の目的は、「宮本常一写真図録第1集 瀬戸内海の島と町――広島・周防・松山付近」(周防大島文化交流センター編著/森本孝監修)の編著者・監修者による最終校正と、最終段階で追加・差替となる写真図版の確定、にある。13日から15日まで3日間周防大島文化交流センターの作業室に籠る予定だが、台風の進み具合によってはもう1日延長もありうる。籠城に備えて食糧を買い込み、一旦安下庄のアジトに帰る。アジ一夜干しを買おうと魚屋に立ち寄ったら、コイワシも並んでいる。よっしゃ、今宵の刺身は確保ぢゃ

午後から作業にかかる。同センターの企画パネル展示を元に編集したものなのだが、「パネルのリード文」を本文に使ったのではあまりにも弱すぎる。「パネルのリード文」を若干手直しして初校ゲラを出してみたのだが、いくら何でもこれでは……という判断に至り、森本さんが全文を差し替え、そのうえで2校ゲラを出した。今回の作業では、時間の許す限りで写真を選び直し、キャプションも大幅に加筆訂正もしくは差し替えることになる。

誤解なきやうここに記しておくが、同センターの企画展示パネルがアカンと云うているわけではない(けれども、昨年末に「宮本資料無断持ち出し」という、本来ならば懲戒免職に値する不祥事を起こして辞職した木村哲也元学芸員が、この企画展示はもちろん、職務としてきっちりやらなければならない文化交流センターの仕事をろくすっぽやってこなかったということ――それは事実である。今回の図録編集に際してリード文を全文差し替えたり写真を選び直したりしているのは、パネル制作時、担当学芸員であるところの彼がきちんと仕事していなかったことによる。この問題については後日改めて記す。ちなみに、今年1月8日・10日付当blogでは、木村元学芸員による「盗作事件」のみに絞って報告した。その時点では、「宮本資料無断持ち出し」まで触れなかった)。

話を戻す。1枚の大パネルに写真数点をどーんと載せリードとキャプションを配して見せる展示パネルと書籍とでは、元々メディアが異なる、ということである。限度ってものがあるが、写真は大きければ大きいほどよい。写真自体の見栄えとか迫力も然りだが、大きい分だけ画面が提供する情報量が多くなる。「いい写真は引き延ばせ。最低でもエイトバイテンで焼け」、これは、写真専門学校や芸大写真学科でいちばん最初に教えることの一つ、である。
展示パネルは、一にも二にも写真の力で見せるものだ(こう云うては語弊があるが、文章が多少スカスカでも“そこそこ見られたモノ”になる)。書籍は違う。いくら写真を大きめに使ったところでパネルのそれにはかなわない。写真自体の持つ力が落ちる分、文章が強くなければ書籍として見栄えがしなくなる。


それと“ええこと”を云えば、はじめからここまでの段取りができるのなら云うことない。……が、実際にはそうはいかぬ(云うだけならたやすい)。シリーズものの最初の雛形をつくるのはシンドイことよ。実際にこうして手を動かし、頭を使わんことにはみえてこない。一つのものを作りあげる、その段階を追う中で、実感を伴ってわかってくることがあり、関わる者の間でそれを共有していく。こういった地味な作業の積み重ねが、同センターの今後の企画展示作りなど諸々の活動、また、今後順次刊行していく「宮本常一写真図録」の中で、必ず反映されていく。本の編集に限らず、ものをつくるということは、木の股からポンとわいて出てくるやうな安直なモノではない。

午後9時半、森本さんと私が撤収。担当職員のOさんはあと暫く残業。


【14日】
午前9時出勤。台風接近につき臨時休館。町教委のKiさん、Kaさん、Oさんが台風対策のため走り回っている。
時間を経る毎に雨風が強まる。台風の通過するコースによって風向きが変わり、「火山弾」(屋根瓦など)が飛んでくるか「潮」をかかぶるかが決まる。前者だと生命にかかわるので出歩いてはいけない。後者だと海べりの道路は通れない。どうも今回は後者のやうだ。午後、2度ほど電圧が下がる。作業中のデータを慌ててバックアップする。文化交流センターは海べりに建っていて、配電盤が潮をかぶったら即停電。かなりヤバい。
閉じ込められないうちにと、午後6時頃撤収。Oさんは台風対策のためこのままひと晩文化交流センターに待機。森本さんのドヤで2時間ほど読合せと雑談をしてアジトに帰り、日付の替わる頃までキャプションを整理し、写真の割付指定を書く。風呂に入ってガソリンを注入していたら、いつの間にか雨はあがっていた。


【15日】
7時起床。一気に畑の草を引く。秋の台風が抜けたときのやうな空だ。どう見ても梅雨明けの空ではない。
アジトを片付けて、9時半出勤。午後までにほぼ目処が立った。午後6時49分伊保田港発のフェリーで松山へ。東予港までクルマを転がし、大阪南港行おれんじ8に乗る。風呂浴びてガソリン入れてゲラを読むはずが、いつの間にか落ちていた。


【16日】
5時50分大阪南港着、8時まで船内休憩。けふは印刷所の祝日営業日。8時半の始業にあわせてゲラを戻す。週末校了、27日出来予定。まず、明日か明後日にはビラが出来てくる。