黒子の義憤。

mizunowa2008-01-10

月刊誌「MOKU」2007年9月号の「未知なる輝き」第33回で、わてへのインタビュウ記事が載った。つい紹介しそびれたまま年が明けてしまった。自分自身が取り上げられた記事だと、あまり大声で載った載ったと云いにくいといふこともあったりする。表紙と巻頭座談会は石原都知事! で、わてへのインタビュウは末尾に掲載。えらい対照的な取り合わせだが、これってある意味すげー。編集者の気概を、そこに感じた。以下、全文転載。

MOKU出版公式サイト http://www.moku-pub.com/

[未知なる輝き33]
黒子の義憤
聞き手=「MOKU」編集部・前田洋秋


[編集部リード]
「売らんかな」の本づくりに憤る。そんな本しか読まない読者に憤る。荒れ果てていくふるさとの風景に憤る。赤字だからと書店を閉める流通業者に憤る。相互扶助を忘れた消費者に憤る。義憤を持って本を作る「一人版元」がここにある。


◎一人だけの出版社

 日本一小さな出版社であることは間違いない。装丁と印刷以外の本作りのすべてをたった一人で行い、売る。これまでに、「宮本常一」や民俗学もの、神戸に関するもの、朝鮮関係など約六十冊を神戸から世に送り出してきた。父親が植民地時代の朝鮮半島の生まれであったことから子供時代に「チョーセン人」と差別を受けたことや、祖父が戦争で片足をなくしたにもかかわらず祝日にはぼろぼろの日の丸を掲げていたことなども、国家や民族といったテーマの本を作るベースになっている。
 1997年(平成9)の設立以来10年間、赤字が蓄積している。それでも、やめようと思ったことは一度もない。
「社会の現状に対する『けんか』なんですわ」
 写真の専門学校を卒業後、新聞社の写真記者、テレビ局の報道記者、出版社のアルバイトなどをやった。組織の都合ひとつで飛ばされるのがマスコミ企業であること、事前に当選を仮定した映像を撮っておき開票速報と同時に垂れ流すメディアの手抜き、イデオロギー固執した出版の息苦しさなどを「学んだ」。
 間口の広い出版がやりたい。だったら、自分でやるほうがいい。一人で書くこともできるが、それだけでは「けんか」は広がらない。人に書いてもらおう。自分は売ろう。そうして、神戸のマンションの一室に出版社が誕生した。それまで出会った“理不尽さ”へのアンチテーゼも多分に含んだ起業であった。
         *
 幼少のころ、山口県周防大島で暮らしたことがある。わずか1キロの瀬戸で本州と隔たっているだけで、「高度成長から置いていかれていた」島だった。
 76年(昭和51)に橋が架かった。島民の「わが島も経済成長へ」という願いが叶うと喜ばれた。が、バブル経済の時期を過ぎ、いつしか橋は人々を都会へ運ぶ役目を担っていった。人口が減り、手入れの行き届かなくなった段々畑は荒地と化した。島を訪れるたびに柳原の目に映るふるさとは、郷土の先輩である民俗学者宮本常一が生前にまなざしを送り、記録し続けてきた「日本人の暮らし」からは遠く離れていった。
「島の彼方此方で埋め立てが進んで砂浜がなくなり、干潟がなくなり、磯がなくなった。海に寄り添ってしか生きていく手段のないはずの島の人々が、いちばん海を大事にしていない。都会では家を建てる場所がないとか、食糧自給率が危ういだのと言っている一方で、田舎は土地を腐らせとる。島が何も生み出さなくなった。橋が架かったことがまったくプラスになっていない」
 と手厳しい。島が都市の経済効率至上主義に飲み込まれたことに原因があると見ている。
「居酒屋でちょこっと盛られたハマチの刺身が一皿800円で、浜の卸値は一匹300円。船のガソリン代も出えへん。みかんが正果でキロあたり100円、くずみかんになるとキロあたり1円。肥やしだガソリンだと、かかるものはかかる。仕事するだけ赤字となれば、百姓も漁師も島を捨てて出て行くのは当然」
 日本全体に「ルールの箍」が外れてしまったことも背景にあるはずだと言う。
「種子を中国へ持ち出し、生産したものを逆輸入する。そうすると、国内産の半分以下の値段で野菜が買える。でも、それはどうかしている。安全を買う意味でも、相互扶助の観点からも、国内産を買わなければならないし、そうすることで自国の農業を守らなければならなかった。
 目先の利益ばかり追い求めることで、結果的に滅ぶ方向に向かう。企業だって同じ。企業の存在意義には社会教育という点もあったはず。派遣社員全盛となれば、教育は必要とされず、職場内での技能や要領といったものの「伝承」も途絶える。近視眼的にはコストが削減できて経営側にとっていいことずくめかもしれないが、長期的にみれば、社会が良くならないだけでなく、人がまったく育たないことで、企業もまた滅びていく。
 ほな、お前に何ができるのかと問われれば、本を作る以外に何もできませんと言うしかない。大きなことはできませんが、小さなこともできません。これに尽きる」
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 この日、柳原は愛媛県の松山にいた。所用を済ませると、書店を訪ねて回った。地方の小さな出版社には、大手のように作った本を取次に回せば、同時に代金が回収できて配本もしてくれるような楽なシステムはない。運転資金もままならない。東京や九州へ出かけて行く際には、可能な限り書店を回り販売交渉をする。しかし、それとて、何割かの委託料を払えば、わずかな利益にしかならない。
「販路が広がらないんですわ。ウチも契約している地方・小出版流通センターの直営書店、神田神保町書肆アクセスが今年11月に閉店することになりました。“神田村(東京・神田神保町界隈の小取次店の組合=東京出版物卸業組合の通称)”の空洞化やネット書店の台頭などを受けて売り上げが落ち、維持できなくなったという説明ですが、今、出版業界で売り上げが上がっているところなんてほとんどないはずです。自費出版業者くらいでしょ、景気がええのは。それでもみんな何とか踏ん張っている、いろんなところに迷惑をかけながらも。神保町に書肆アクセスという〈場〉があったことによって、どれだけのお客さんが大手出版社、大型書店にない本と出会ってきたか、その大切なものを、地方小は軽視しすぎている。私にはそうとしか思えない。販売力のある大手の出版社と大型書店だけあればいいのか。出版業界全体からみればスズメの涙でしょうが、このような〈場〉が消滅することで読者との出会いを失う本がどれだけあるか、それが分かっていない」


◎作り手も読み手も試される

「業界全体として、ページが少なくて、1頁あたりの字数が少なくて、内容が軽くて安い本が売れる傾向にあります。ウチのように分厚くて重たいものは売れません。開き直って、『ざまみろ、ええ本は売れへんのやー』と負け惜しみ言うてやるけど、まあ、むなしさはありますね(笑)。分厚いのばっかり作っとったら心身がもたんので、分量少ないめの本も出してるけど、それもまた大して売れへん。何やってもアカン。
 まじめなことを言いますと、読者が育ってこなかったんです。と言うよりも、育ててこなかったんですね。誰が? 出版社が。
 例えば、「偉人」の名言至言語録という、本とか日めくりの類があります。そりゃ、売れるでしょうよ。つらつら眺めただけでお手軽に「偉人」のことが全て分かったつもりになれるんだから。でも、売れるとわかっていても、私はそんなものは絶対に作らない。理由は簡単です。私が編集者だからです。では何故この程度のものが売れるのか。それは、ちゃんと出汁を取った味噌汁と、粉末ダシの味噌汁の違いが分からない味音痴と同じです。
 確かに、出版社は売らんがために、そういう本を作ってきた。しかし、その結果どうなったかというと、「長編」を読めない読者を育ててきた。本来、読み手の中にある何かを引き出したりひっかかったりする立体的なものであるはずの言葉が、単なる記号と化し、ひっかかりを持つものとなり得なくなったために、何に対しても疑問を持たない人を生み出してきた。そんな言葉しか受け付けなくなった人は、言葉に酔っ払っているだけ。化学調味料や防腐剤てんこ盛りの食べ物をうまいと感じさせられているようなものです。それはもはや食事ではなくエサ、人間の食うものではない。
 いつの時代にも『味』の分からない読者はいる。だからといって、『これでも食わせておけ』ではいかん。そういうところが作り手にあったからこそ出版不況も起こってきた。出版をやる者としては『味』の分かる読者を育てていく気概は持っておきたい。作り手としても、そういう読者とつながりたいから。
 私が提供できるのは、一冊の本を出すこと。それが宮本常一だったり佐野眞一だったり趙博だったり金子マーティンだったりするけれど、それを教条的にどう読めとは言えない。だから、作り手と同時に読み手も試されているんです」
 自分の手の届く範囲が狭いから、どんな本でも出せるわけではない。カネになりそうでも出さない本もある。自分の読みたい本でもないのに作ったらアカンやろ。柳原は、そんなことを言う。意地、矜持、やせ我慢。とっくに世間の主流から降りた言葉が当てはまる。
 大滝秀治風に「お前の作る本はつまらん!」と真似てみせて、「そんなことは言われたくない」と真顔になった。柳原が柳原に言い聞かせている。
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「大手の版元が見捨てていくような客層があるんですよ。その人たちが面白がるものを作っていく。たとえ『落穂拾い』であっても。
 たとえ宮本の本でも、500部とか1000部しか見込めなかったら大手は作りません。でも、確実にその本を必要としている人が1000人いるならば、その人たちに向けて作ろうと思う。2〜3年かけても800部売れれば、些少ではあるけれども著者への印税も印刷代も払えるだろうし、さらに私の日当も出るなら、それでいい」
 今年は、宮本常一生誕100年でもある。
「だから、なおさら上澄みをかすめとっていくだけの出版物が多いんですわ。“ええかげんにせんかい”と思います」
「出版社の役割は著者を世に出すこと」と考える柳原にとって、“草刈り場”よろしく周防大島文化交流センターが管理する宮本の資料を利用するだけ利用しておいて、自社が儲かればいい、自分の虚名が高まればいいという独善的な態度で本作りをすることが看過できないのだ。
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「出版も、ひとつの社会運動なんだと思います。どう『公』の利益に付くか、という意味において。
 今、『公』などというと、『国家の命令に従え』みたいな言い方に思われるかもしれないけれど、本来、われわれの中に意識としてあった『公』とは、国家とか自治体、企業などではないんですよね。世間です。米粒一つずつでも世間を良くしていきたい、それが出版という形の社会運動であり、実は出版に限らず社会を構成するすべての職種にいえることだと。決して理想郷など未来におとずれるはずはないと知りつつも、それでも、どんなに貧乏しても踏ん張るのが、出版をやっている人間の誇りだと思う。いかに腐ったご時世とはいえ、それでも、過去のどんな時代よりも、今のほうがいいに決まっているのだから。
 仮に、一つの大手出版社がつぶれても、同じ企画の本は他でも出すだろうけれど、小さな出版社がつぶれたら、その本を出すところは、おそらくない。そういう意味では、小出版社が一つつぶれるほうが社会への影響があるとも言えるのです。そうすると、小さいところほど踏ん張って、たとえ赤字でも継続させていくしかない。借金も赤字もないほうがいいけれど、大手とは違った質の本を読みたいという人がいることに目を向けていくと、部数の多寡の問題だけではないと思うんです。
 ライターやイベント製作の仕事をよそからもらって自分の生活は何とかしのいでいる状況です。それでも、一日の終わりには安酒が飲める。「ああ、ワシにも毎晩欠かさずハレが訪れるやないか。ええ身分やなあ」と。安上がりな幸福ですがね。(敬称略)