度し難き……。

mizunowa2008-02-10

【写真】
松山市銀天街の丸三書店本店でのお買い物と紙袋。6日夜大阪発の船に乗り、翌7日朝松山着。午後の船で広島に向かう前に市街に出て「宮本常一写真図録 第1集」の在庫確認と伝票処理をしてきた。昨年7月末に預けてきた10冊+後日追加分10冊→計20冊のうち、半年で18冊売れた。地方小から送本してもらうと、返品がしにくいと云って敬遠する書店さんが多い。これを放っておくと、「大型書店にしか本が並ばない」といふことになってしまふ。そこでウチから直で預けて、実際に売れた分だけ「仮納品書」を切って受領書に番線印をついてもらい、地方小との間で伝票処理をすれば、取次経由でブツが流れたのと同じ扱いになる。版元直納品と、いわゆる通常ルートの中間をとったやり方で、こちらの管理の手間は大して変わらないのだが、版元に対し直接支払いをしなくてすむ分だけ書店さんの手間は省ける。


【岩国市長選の結果に、震災後神戸の13年を思ふ】
岩国市長選で、基地容認派候補が当選したといふニュースが流れた。国の政策に対し自治体がモノ申してはならぬとか何とか、いかにも頭の悪そうな大阪のタラント(註…ワアプロ入力ミスではない。「足らん人」といふ意味の造語? である)知事が発言して物議を醸しておったが、何ヲカ云ワンヤ。それこそウンコ召し上がれ、だ(あの男、岩国の前市長・井原氏に対し「憲法を勉強せえ」なんてなコメントぬかしたらしいですな。橋下ッおどれこそ憲法きちんと読まんかいッ! 本職ハッタリかい?)。

自治体の究極の使命とは住民の生命を守ること、その一点に尽きる。何にしても国が正しいとは限らない。その時に、自治体の長が先頭に立って闘わずして、誰が責任持って闘うんだ!? 震災後の神戸で何が起こったか。多くの住民が住むところと食うものに困っている最中に、当時の笹山幸俊市長は現場の先頭に立つことなく、市役所の奥の院に籠って嬉々として焼け跡の都市計画の線引きにかかっていたのだ。挙げ句の果てに空港でっせ。「震災前からの計画ゆえ、粛々と進めます」なんて、震災発生1週間後に公言してやまない、この無神経。96年の公的支援を求める投票運動、97年の市長選、98年の空港の是非を問う住民投票条例制定運動、99年の神戸空港「ナンチャッテ」住民投票(これがどーしようもなかった。後日改めて記す)、2000年の市長リコール運動……という動きが、震災後の神戸で連綿としてあったといふ事実をどう考えるんだ。
日共の裏切りやら何やら云い出せばキリがないからやめるが、ひとことで云えば、自治体の長が、被災住民の生命を守ろうとしなかったことに対する住民の怒りはただ事ではなかったといふことだ。それは翻って市民運動の側が、それをきっちり受け止め、住民の願いを裏切らぬための行動を展開するだけの力量も気概も無かったといふことの証左でもあるのだが……。

神戸空港」計画は、環境破壊に加えて財政的にも今後の神戸市政を終末的破綻に導く事業であり、「復興」を阻害する以外の何ものでもない。このような計画は即刻中止すべきである。被災者は、空港など求めてはいない。生活再建、個人補償、自立保障を求めているのだ。「神戸空港」建設によるさまざまな損失・損害は、将来にわたり、すべての市民に苛酷な負担としてのしかかってくることになる。議会も行政当局も首長も、住民の願いとはまったくかけ離れたところで動いているという事実にこそ、今の神戸の不幸がある。
……拙著「阪神大震災・被災地の風貌」所収、96年1月22日付なら自治研論考「住民無視の愚挙――『神戸空港』計画を問う」より

いずれにせよ、岩国の次期市長は国策に盲目的に追随していくだらう。彼はそのためだけに立候補したのだから。それが、たとえ目先は誤魔化せようとも、後の世の人々にとって多大な禍根を遺すことだけは間違いない。ただ、後の世が行き詰まった時、「責任者出てこい〜」なんて云うても多分だーれも出てこない。親の不始末子の難儀、といふやつだ。どいつもこいつも、先々への夢のひとつも語ることのできぬ、しょーもない守銭奴ばっかり雁首並べやがって。神戸の不幸を見続けてきた敗残兵の眼には、そうとしか映らない。