祝! 沖家室開島400年記念出版2点。

mizunowa2006-07-18

【写真】
山口県沖家室島。古刹泊清寺の墓地から見下ろす本浦の部落と海。今年、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産100選」に選ばれた。対岸の半島部は牛ガ首(周防大島)。江戸参府の途上、シーボルトが上陸した地点である。


山口県内で「漁村100選」に入ったのは、以下の5件。
・沖家室の漁村集落(周防大島町
祝島の神舞と石積み集落(上関町)
・牛島漁港藤田・西粼の波止(光市)
・下関漁港閘門(下関市
・青海島鯨墓(長門市


【7月12日】
夜8時すぎ春日野道のアジトを出発。深夜の山陽道を西へ。船のほうがラクなのだが、おカネがない。


【7月13日】
午前2時半頃、周防大島は安下庄の母方の実家に到着。弁当をアテに日本酒を乾す。疲労困憊。わずか2合で落ちる。
早起きして豆腐を買いに出たかったのだが、目は醒めているはずなのに起きあがれない。無理してクルマで帰るとこれがしんどい。10時頃までうつらうつらする。
メシを喰う元気もない。気を取り直して周防大島文化交流センターへ。今回の突貫工事で必要となる写真の閲覧をお願いする。東和町誌を編纂した当時の沖家室島の写真。快諾を得る。
今回帰省した目的は、その突貫工事にある。
ひとつは『沖家室開島400年記念誌――きずな』(沖家室開島400年記念事業実行委員会編=非売品)。
豊臣秀吉の海賊禁圧令で無人島となった沖家室島に再び人が住み着いてから、今年は400周年の節目にあたる(石崎系図略記は、慶長11年〈1606〉正月20日、伊予河野氏の家臣だった石崎勘左衛門らが渡島したと伝える。移り住んだ一団は、石崎、柳原、金井、林、安本の5氏。詳細は「東和町誌」参照)。この記念すべき年を迎えるにあたって島の住民と出身者とで実行委員会を作り、8月5日に立松和平さんの講演会、15日に記念行事を開催する。記念誌もその取り組みの一環である。
もうひとつは『沖家室 瀬戸内海の釣漁の島――「あるくみるきく」№195復刻』(森本孝・須藤護・新山玄雄著/沖家室開島400年記念事業実行委員会編)。宮本常一サンが所長を務めた近畿日本ツーリスト日本観光文化研究所発行の月刊誌「あるくみるきく」195号(1983年5月)の特集「沖家室 瀬戸内海の釣漁の島」を底本に8月刊行。復刻にあたって写真を選び直し、詳細な索引をとったうえで解説を付す。1冊まるごと特集、という伝説の雑誌を今の編集の目で甦らせる企画。こちらは小社の刊行物。予価1300円+税。


周防大島文化交流センターを辞して沖家室島へ。約束の時刻まで間があるので、伯母宅に顔を出して仏様を拝み、そこいらへんをつらつらと写真撮って歩く。今回の記念誌の表紙他に使う写真を確保するため。沖家室島の写真は手許に何枚かあるのだが、私の趣味でほとんどモノクロ、しかも最近はゆっくりと帰省したことがないものだから、いざという時に使えるような写真のストックがない。記念誌の表紙写真が必要だとは思っていたので、4月の花見と5月の連休にポジで撮影したのだが、天候に恵まれずいまいちぱっとしなかった。梅雨時とはいえ真夏のような日差し。これでもう少しカラっとすれば云うことないのだが……一眼レフ2台(もちろんフィルムカメラ。幻の名機オリンパスOM-3とOM-3Tiでっせ!)にレンズ5本抱えて汗だくになる。それでもええ写真が確保できさうで何より。

午後2時すぎから泊清寺。書院を借り切り、住職と私、時々奥さんに加勢して頂き、記念誌に使う写真を選ぶ。テーマ毎に山を作って写真を割り振っていくのだが、さすがカムロ博物館。やれどもやれども終わりが見えない。晩ごはん御馳走になりもって8時間粘るも、積み上げた写真筺の半分までしか開くことができず。明日また、ということで解散。

けふはお客がいないというので、鯛狸(=^・^=)さんとこに泊めてもらう……とは云っても座敷に雑魚寝ぢゃが……。アジ刺とセゴシをアテに2時頃までタヌキとネコ、延々と呑む。