河出書房新社と木村哲也氏による盗作事件、について―その2

ネット新聞「ジャーナリスト・ネット」(http://www.journalist-net.com)1月8日付寄稿の拙文、を以下に転載する。


註:以下の拙文は「『宮本常一叩き売り』批判」と表題を改め、小社サイト内、コラムのコーナーに転載しました http://www.mizunowa.com/column/j_mondai.html

2007年01月08日
今年もよろしく 6:みずのわ出版代表 柳原一徳


 神戸で出版社を経営する著者の大手出版社との理不尽なたたかいの模様が近況報告になります(事務局)


 暮れも押し迫った26日の午後、みぞおちから背中にかけて呼吸も止まるほどの激痛に襲われ、神戸市立西市民病院に担ぎ込まれた。急性膵炎だった。幸い3日間の入院ですんだが、仕事は止まるわカネはかかるわ酒は呑めんわで、まったくいいことがなかった。積年の飲酒も一因ではあろうが、過度のストレスとそれに伴う不規則な生活が最大の原因であろうことは間違いない。「過度のストレス」の元になった出来事を以下に記す。


 小社では、「宮本常一離島論集」(宮本常一著、全国離島振興協議会・日本離島センター監修)の刊行を企画し、全5巻の章立てと内容校正、詳細な索引取り、写真選定、解説依頼等々、滅茶苦茶に手間暇のかかる作業を数年かけてちびちびと進めていた(小社サイトに刊行予告を掲載している)。
 ところが全5巻の内容のうち、著作集・単行本未収録のいわゆる「掘り出し物」(全体のほぼ半分にあたる)を「宮本常一エッセイ・コレクション」(全6巻)の第2巻「島の人生」として刊行する、ということで河出書房新社が昨年11月末頃全国の書店に予告ビラを配布した。それも、版権者である全国離島振興協議会・日本離島センターにまったく許可をとらぬまま作業が進行しており、あろうことか刊行予定が私の耳に入った時点で通しゲラまで組まれていた。
 「宮本常一エッセイ・コレクション」責任編集の木村哲也氏(周防大島文化交流センター学芸員=当時)による、小社企画からの盗作と判明するのに時間はかからなかった。
 去年の夏に周防大島文化交流センターを訪ねた折、私は、宮本常一が季刊「しま」(1953年12月、全国離島振興協議会の機関誌として創刊。1973年以降、財団法人日本離島センターの広報誌として継続発行)に執筆した論考の一覧を、木村氏の依頼を受けて手渡していた。それは、各論考の「しま」掲載号と発行年月日、原稿枚数、著作集収録の有無などを記したもので、あくまで編集作業中の出版企画のための資料ゆえ取扱にあたっては十分に注意してほしい旨、口頭で伝えた。木村氏が宮本蔵書の整理・研究のために使うものと信じて資料を提供したわけだが、それが裏切られた。木村氏は河出書房新社刊「島の人生」を編むために、小社の資料を断りもなく使用したのだ。研究者の端くれであるはずの木村氏がまさかそんなルール違反をするはずがない、という私の認識そのものが甘かった。
 さて、刊行は中止されたが、その後が長かった。事件の発覚から「宮本常一エッセイ・コレクション」全巻刊行中止決定に至るまで2週間、木村学芸員辞職に至るまで3週間を要した。詳細は端折るが、東京の大手出版社というヤツの横暴を改めて痛感した次第、である。それと、編集者、編・著者の資質についても考えさせられた。12月15日付blog「みずのわ編集室」に「実力とか見識の欠片も持たぬ輩が、他人の仕事の上澄みだけをちゅうちゅう吸うて、あたかも自分の実績であるかのように尊大に振る舞う、という醜悪極まりない構図に辟易している」と記したのは、実は彼らを指してのことだ。
 論文捏造問題で、多比良和誠東大教授と杉野明雄阪大教授が懲戒解雇になった事件は記憶に新しい。つまるところ研究者とか書き手の力量が低下しているということだ。同時に、編集者の力量も低下している。そのような現状にあろうとも、いや、だからこそ自らの力量を高めていかねばならないのだが、そういったシンドイことを忌避する動き、「楽して儲けて何が悪い」と開き直るホリエモン錬金術にも通じるお手軽なパクリ商法が、いま、本をめぐる業界でも横行している。
その点でいえば、河出書房の問題の企画は「軽薄」の一語に尽きる。今年が宮本常一の「生誕100年」にあたるがゆえ、それを当て込んだ「売らんかな」の姿勢が見え見えなのだ。確かに宮本常一の文章はどれもいい。だが、ただ単に「いい文章」をだらだらと並べただけでまともな本が成立するかと云えば、それは大間違いだ。編者と編集者の力量がそこに表れる。ましてやろくな編集もできぬ者が「著作集・単行本未収録」(だけ)を売りにするなど、それこそ「生誕100年 宮本常一叩き売り」にほかならない。
 各巻のタイトルも人をバカにしている。たとえば「第4巻 忘れられぬ日本人――私の学んだ人」。考えなくともわかるはずだが、「忘れられた日本人」(岩波文庫未来社著作集10)の著者が没後とはいえ「忘れられぬ日本人」なんて本を出すか? 「第1巻 歩く・見る・聞く――日本の津々浦々を訪ねて」「第6巻 日本の民俗を訪ねて――聞き書き民俗採訪録」など、稚拙にすぎる。
 結果オーライだが、こんなシリーズが出なくてよかった。それこそ故人への冒涜だ。


 「静かな宮本ブーム」と云われて久しい。「宮本常一とお題目を唱えていれば何をやっても褒められる」といった、上滑りとしか云いようのない動きも見聞きする。「ブーム」の「底」なんて、えてしてそんなものなのだろう。
 もちろんウチも商売だ。1点でも多くいいものが出せるのならば出していきたいし、宮本関連のフェアや講演会ではしっかり売らせて頂く。そうすることで一人でも多くの読み手と繋がっていきたいと願っている。だが、「生誕100年」とか「宮本ブーム」に乗っかっただけの軽薄な動きとは、徹底して一線を画していきたい。ウチは古典となりうるものを作る。そうでなければ本とは呼べぬ。
 数年越しの「宮本常一離島論集」。そんなわけで「生誕100年」の騒ぎが過ぎ去った頃、満を持して世に出す所存、である。今年は無理、ならばそれでいい。「生誕100年? だからどうした」。その時はこう云ってやろうと思っている。


続いて、記事に寄せられたコメント(1月8日投稿分)を転載する。不特定多数が閲覧するであろう版元blogへの転載ゆえ、投稿者のお名前は伏せておく。
「生誕100年記念」なんかではなく「今も生きている宮本の感性を十分に引き出」すこと、それに尽きる、と思う。

記事へのコメント-1
 雑多な情報があふれている今、本は良識ある編集者、出版社というフィルターを通している安心感があった。そのフィルターが汚れてしまっていては何を信じたらよいのか。
 ここは長崎県の離島、対馬。1950年に宮本常一は最初に訪れ、各地に足跡を残している。その足跡を辿ることが行われるようになった。悪いことではない。しかし、宮本が何を見、何を考え、そして何を残したか、という視点が欲しい。そして宮本の基本的な考え方、それは決して上からの視点ではなく、生活者の目線で一緒に考えた。
 上前をはねるようなやりかた、それは宮本的ではない。
 みずのわ出版が生誕100年記念ではなく、今も生きている宮本の感性を十分に引き出した全集を出版されるのを期待している。


記事へのコメント-2
 おつかれさまです。
 広く世の中は倫理の欠如にみまわれているようですね。残念。なにがどうなってもみずのわ出版柳原様,お体だけはお大事にしてください。なにぶん人間は自分ひとりの体ではないこと,誠に勝手かつ僭越ながら申し上げたく,コメントを打ちます。以上。自称白い灯台より。