1月末〜2月初旬、ひとまとめ。

【1月27日】
お昼前、松山のHさん初めて来社。関西出張の道すがら、新神戸駅から電話を下さった次第。瀬戸内文化圏とか「海から見た日本」をめぐって、宮本常一の仕事に関心を持っておられる、とのこと。短時間だったが、珈琲すすりもってかなり濃密なお話しをしていかれた。こんな時代になってしまって、でもこのままではいけないという思いを強く抱いている人は確実に存在する。そんな心ある人の中に宮本常一が伏流水のように浸透してきている、と佐野眞一さんは云われる。私自身こうして版元をやっていても、それは強く感じる。これからどう繋いでいくか。
夕方から大阪に出る。印刷所他を回って急ぎの仕事を片付けるはずが、片付けきれず見切り発車。南港21時発のさんふらわあに乗る。とりあへず、船に乗ってしまえばこっちのものだ。


【1月28日】
松山を経て周防大島伊保田港着。周防大島文化交流センターで、前日神奈川から来島されたKさんと合流。宮本常一さんが昭和40年代に入院した当時の病室仲間。たまたま『宮本常一という世界』(佐田尾信作・著)を書店で購入され、読者ハガキを頂いたことから、お知らせとかDM類をお送りするようになった。
私を待つ間、『宮本常一 写真・日記集成』(毎日新聞社)を閲覧していて、当時の日記にご自身のことが書かれているのを発見。ああそうだったんだと、忘れていた様々のことが次々と思い出された、と。さすが記録魔。


【1月29日】
午前中、周防大島文化交流センターに立ち寄り雑用。昼は、昨日に続いて下田のFさん宅で茶粥をよばれる。Kさんのテゴ(手伝い)で鰺寿司を作ったと。旨し。
Kさんは午後の列車で帰らねばならず、昼食後Fさんが大畠まで送っていった。島に帰る度、宮本常一さんのとりもつ縁を感じる。
母方の祖父の祥月命日が近いこともあり、午後、お寺がある油宇へと向かう。ここは周防大島の東端で、ウチの最新刊『周防大島 島末の記憶』(福田忠邦・著)の舞台となったところ。昭和40年代初めに墓を安下庄に移したこともあって、この地に母方の一族の痕跡は何も残ってはいないのだが、菩提寺は安下庄に移さずいまも油宇にあり、ずっとお世話になっている。
ご院家さんは休んでおられたが、奥様とそのご長男の住職がご在宅で、亡祖父母のことや福田さんの今回の本のことなどで話が弾む。
ミカン農家がどれほどしんどいか、住職にレクチャーしていただく。20キロコンテナで500筺、すなわち10トン出荷するのは大変な労力だが、農協に出荷した場合の正果値段はキロあたり100円。10トンなら100万円になるが、うち4割を農協がとるから百姓の取り分は60万円。そこから肥料やら消毒薬やら支払ったら何も残らん。原料用(ジュース等)ならキロあたり1円にしかならない。等々。
最近、耕作放棄した荒れ地や竹藪が目につく。ちょっと前までこの島の斜面の上のほうまで畑がつくられていた。そんなに昔の話ではない。たかだかここ10年、20年の話だ。


【1月30日】
沖家室島で午前3時過ぎまで呑む。雨が降ったり止んだり。朝から安下庄に戻ったが、畑仕事ができない。この天気なら百姓は家にいるはず。ご近所の仏さんを拝みに行く。ちょうど昨日が法事だったというので、昼間から少しばかりビールをよばれる。
午後、下田のFさん宅でお茶をよばれていると、福岡は二丈町のNさん来宅。昨年の水仙忌に、Sさんと一緒に参席され、今年は筑前前原のNさんと2人。来る4月29日、対馬壱岐、五島の人らにも声かけして、九州で宮本常一を読む会を旗揚げする、とのこと。
夕方、西方の神宮寺で宮本常一をしのぶ会「水仙忌」参席。その後沖家室島に場を移して二次会泊清寺、三次会鯛の里。3日連チャンの酒盛りはこたえる。みなさんよりひと足早く12時頃沈没。鯛狸(=^・^=)さんによると、おでんの鉢に顔突っこんで寝ていた……らしい。


【1月31日】
それでも何故か宿酔いにはならない。島に帰ると体調が良い。前日、本浦の漁港で父方のいとことばったり出会い、雑柑の肥やしの打ち方がようわからん旨話したら、ひととおりのメモをプリントして鯛の里に届けてくれていた。ありがたや。
午後から泊清寺で諸々の打合せ。企画はてんこ盛り。鯛の里で頼んでいたヒジキを受け取って帰るはずが、ほでほで一杯……。結局、1時頃までかかって鯛狸(=^・^=)さんと一瓶やっつける。そのまんま座敷で轟沈。ついに4日連続鯛の里で居候。


【2月1日】
午後から晴れ間がのぞく。畑仕事を一気に片づける。雨が続いたおかげで土が軟らかい。午後4時前、安下庄を出発。途中、久賀に立ち寄り、二、三用事をすませて山陽道を東へ。深夜1時過ぎ、神戸着。


【2月2日】
朝も早よから投資しまへんか、と営業電話。
――○○上場のアサヒ××で、大阪の本町に本社があって云々。
はあ、それはよろしおすなあ。何故かここだけ京都弁。で、何だすねん。
――投資です、投資しませんか。石油とか金とか……。
うちは石油ストーブ禁止やから灯油はいらん。
――そうじゃなくて投資です。
はあ。うちは本屋やで。わかっとんか。
――わかってます。だから投資をして資産の有効活用を……。
お宅がかの有名なアレですかの。お父ちゃんが小豆相場に手ぇ出して大暴落して無一文になって一家離散っちゅうやつ。
――そうではなくて、資産の有効活用を……。
あのな。うちの田舎の方の本屋が数年前に夜逃げしたんよ。儲けたろう思うてバカ息子が土地転がしに手ェ出してな、しまいにはコワいお兄さんたちが広島あたりからわらわらとやって来よってのう。本屋は本売ってなんぼよ。虚業に手ぇ出すような、クソくだらんスケベ心持ったらあかんねや。で、うちに電話してくるんやったら、うちの本読んだことあるんやろな。
――ありません。
そりゃアカンね。あんた、営業の仕事するのに勉強してへんよね。
――勉強してます。
ほでほで。これはワシからの取材やねんけど、最近どげな本読んだかの。
――経済の本とか。
ほでほで。経済って言葉の意味、あんた知っとうか。
――知りません……。
それ知らんとカネのこととか扱って営業するのはありえんよね。しゃーない、ヒント出したろ。竹下元首相は知っとるよな。
――はい。(←おいおい、ほんまに知っとんか、こいつ)
ヤツの派閥の名前知っとうか。
――知りません……。
あんた、ほんま勉強してへんな。経世会いうんやけどな、それ、経済のことなんよ。ヤツのやっとったことが経世済民かいうたら、ワシはそうは思わんがな。さて、そこで問題や。経世済民って云うたけど、あんた、意味わかるか。
――わかりません……。
アンタはほんまにプロやないな。ええか。プロっちゅうのはな。
――がちゃっ。つーつーつー。


夕刻、大阪で仕事。油宇の福田忠邦さんからいただいたミカンのお裾分けを、印刷所に持っていく。味がしっかりしてて美味しい、と大好評。