違和感、の続き。

【5日】
土佐出身伊予育ちのCP・Mさんと久しぶりに終電まで呑む。某平和資料館企画展の仕事がやっと片付いた、その後始末のため大阪に出た次第。


平和資料館の展示も、いまや壁にぶち当たっている。敗戦の年に生まれた人が62歳になる。学校の社会見学を念頭に置いた施設ではあるけれども、見学する側にリアリティーっちゅうもんがない。ガス欠状態というやつだ。いまの子どもの世代の身近な身内に、戦争なり戦後なり知っとる者がおらん。引率する先生の側も然り。ふと気がつけばこの国は、そこまで世代が入れ替わってしもうとる。
やっぱり、昭和30、40年代……遅くとも50年代までに国家的プロジェクトとして多種多様な戦争体験の聞き取り・記録作業をしておくべきだった。それがまったく無かった。経済成長に躍起になるばかり。度し難き民族的健忘症――。
故・黒田清さんらがかつて大阪大空襲をテーマにした戦争展を毎年開催してきた。他の市民運動とあわせての積み重ねがピースおおさかの展示なりコレクションに繋がっているわけだが、このような取り組みは全国的にみれば少数派でしかない。
私事ではあるが、母方の祖父は北支戦線で片足を失って帰ってきて、それが元で残りの人生めっちゃくちゃになってしまった。戦争で死んだ者も、死に損ねて戦後を死にながら生きた者も、それすらも忘却の彼方。これぢゃ死んだ者は浮かばれん。


さて、そこぢゃ。何でワシが「宮本常一生誕100年」に違和感を持つのか。

宮本が撮った「10万点の写真」。それが何だっつーて「読める」者なんていない。極論すれば、それが「読める」のは宮本だけだ。
文章も然り。軽いことしか考えとらんお気楽な輩もいてるが、宮本の本一冊根詰めて編集してみろ、どれだけ精神がやられるか。

写真が写された時代に暮らした人らやったら、まだ写真をみてそれが何か言い当てることができる。また、宮本門下の、旧観文研人脈が元気なうちなら、まだ補助線は引いていける。でも、その時間はもう限られている。かく云うワシもさうだが、後に続く「人」なんてまったくもって育ってなんかいない。そんな話になった折、ある元観文研メンバーは「旧観文研の人らもまた、人なんかよう育てられへんのデスよ」と云った。そして、あとから来たワシらとて、目先の蠅を追うだけで手一杯。育つ、育てる、なんて烏滸がましい。ぢゃあどうかと問われれば、どだい無理なんですよ、何もかも――そうとしか云いようがない。
さて。それでもアカンなりに何とかやってかんならん。そうした時に、生誕100年だあ〜なんて浮かれてられっか!? そうこうする間にも、タイムアップはどんどん迫ってきている。


この土曜日曜、周防大島での「宮本常一生誕100年記念事業」の締め括りとして和太鼓集団「鼓童」のコンサートが開催される。「宮本が指導した佐渡鼓童」という文脈……はわかるっちゃあわかる。でも、いまの鼓童で、直接宮本を知っとる人はごく僅かだ。確かに、晩年の宮本は佐渡鬼太鼓座鼓童の前身)の立ち上げに協力した。でも、実際に汗をかき、軌道に乗せていったのは当時の鬼太鼓座の、現場の人々である。そして今、時代も、世代も、すっかり変わっている。確かに、歴史認識っちゅうやつで、宮本の働きかけは大きかったと思うし、それを忘れちゃいけん。でも、それとこれとは違うだろう。今の大島で経費かけて鼓童のコンサートやって、一体何が残せるというのか、単なる打ち上げ花火に終わりはしないか。ほんまにやらなアカンことって、他にあるんぢゃないか。やればやるほど本質から離れていく、私の目にはそう映る。


先日、首都圏在住のある水平運動史研究家から、以下のメエルを戴いた。

9月2日(日)東京新聞の書評欄で、貴社出版の宮本関連書物が、画像入りで紹介されていました。日曜版の特集が宮本常一であったため、関連情報ですね。しかし、柳原さんが書かれているように、お祭り騒ぎに便乗する輩が多すぎると感じます。
東京新聞の特集でもそうですが、たしかに宮本常一ならなんでも美化して祭り上げてしまう傾向がありますね。東京新聞の特集では、周防猿回しの復活が、まるで宮本の業績であるかのように、書かれてあります。宮本が猿回しの復活事業を支援したのは事実なのでしょうが、主体は、あくまで村崎一家なので、あまりに度を過ぎた宮本礼賛は、いずれ反動が来るかも知れないと危惧します。
水平運動史でいえば、なんでもかでも西光萬吉と松本治一郎の功績にしてしまったことを想起します。その結果、水平運動史研究はもはや絶滅寸前です。つまり、次世代に引き継ぐ遺産もなく、早晩、水平運動史は、史実ですらなくなるかも知れません。
まあ、今は、宮本情報普及の季節なのでしょうが、冷静な(?)宮本研究の出現に期待します。


兎に角、仕事しいは仕事するしかない。作れるうちに、作るべきものを作る。それしかない。あとは、ある程度カネになってくれることを祈るのみ。地方・零細の出版が、もはや商業出版として成り立ち得なくなってしまったこの時代にあってシンドイことではあるけれども……。



【6日】
今日明日は京都の某学会大会、宮本常一関連書を中心に行商。初日の売上9冊1万4700円也。往復の送料と交通費だけでも9000円。明日の売れ具合によりけりだが、このままでは経費倒れだ。もはや、商売としてはどうかしている。
それにしてもなかなか手にとってくれへん。宮本常一を買う人に学者は少ないという書店員さんもいる。それはそれでわかる気がする。