巡業日誌、しょにょいち。

mizunowa2009-04-14

【画像】
特急サンライズ瀬戸の、横になれる指定席。窓際の室内灯スイッチの横に何故かプラカップ一つ常備されて在り。ポケット瓶と氷を持ち込めば即席トリスバーになる。


【30日】
6時半起き尼崎行。撮影の仕事半日。大阪市内でついでの雑用を片付けて夕刻帰宅。疲れが一気に出て仕事する氣起こらず、珍しく早寝。


【31日】
一番鶏より早く起きてひたすら内職。午から印刷所に籠りて、『出すぎる杭は打たれない――痛快地球人録』(安渓遊地・安渓貴子編著)責了。戌画伯を拾って大阪南港20ぢ30分発酩酊船。


【1日】
11時間半かかりて松山観光港着。ゆんべはよう呑んだ。寝不足解消!
いつも使こてる関汽・ダイヤモンドの松山・大分航路。何処ぞの馬鹿者が目先の人気取りのためだけにおっぱじめた「土日祝日1000円高速道路」のあおりで松山、大分への到着を早めねばならぬとかで、6月以降神戸・今治抜港になってしまふ。年中時差ボケの身には、四国までこれだけ時間のかかる航路は有難かったのだが。
伊予人Hさんと密会ののち宇品行フェリー。正午すぎ広島・宇品港着。午後、袋町芸術館で戌画伯個展の準備。夜はM御大の御接待に与る。


【2日】
6時半起き。クルマをドヤに預けたまま新幹線で移動。9時までに姫路に行かねばならぬ。Kさんと2人で某資料館収蔵品展の片付け。10年近くかかわったここの仕事もいよいよこれでしまひの縁切寺。展示作業に関わった者が片付けるべきなのはわかっちゃいるのだが、どうも釈然としない。館の人らが資料をまったく触っていないのだから、仕方がないといへば仕方がないのだが……。あれもこれも下請け任せになってしまった、そのことの弊害は大きかったと思ふ。「人」がまったく育っていない。絶望的だけれども、もはやどうにもならぬ。