半額セール!?

mizunowa2007-03-16

10日ほど前のこと。「ジャーナリズムのいま――新聞・放送・デジタルメディア、そして民衆運動の現場から」(古野喜政・隅井孝雄・川瀬俊治編著)の小社サイト内紹介ページの定価が間違っている、と指摘の電話が入った。この一ヵ所だけ、本体2800円が1400円になっていた。えらいこっちゃ。
この本、困りたことに売行が芳しくない。何とかせんことには……。

神戸新聞 2007年3月11日付

見出し 日韓の言論界を比較
評者 藤岡伸一郎(「総合ジャーナリズム研究」編集長、関西大学教授)


 この国、日本のジャーナリズムは「いま」大いに剣呑である。
 ジャーナリズムが社会の中で、その機能をまっとうに果たしているとはとても言えないからだ。言論機関、ジャーナリズムを支えるものが外側から(さらに内部からも)失われがちだから機能しない。
 機能・社会的役割、あるいはミッション(使命)とは、ひとつ民主的な自由な言論空間(言論・表現の自由)の実現だとしよう。つまり、批判の自由、反論の自由、もっと平たく言えば文句を言う自由(この際、賛同の自由は問題にしないでいい)、その確保だ。
 これを支えるもの。新聞社でも、放送局でも出版社でもない。究極的にはまぎれもない、私たち市井の民、市民である。
 彼の国、お隣の韓国では市民(民衆)が言論の自由のために、志ある言論人を支え、ともに闘い、それを勝ち取ってきた。
 この国、日本はどうか。与えられた言論の自由。いまだそこを抜け出せていないのではないか。本書は彼我の視点でそこを厳しく問うていく。
 1988年、一般の市民に株の購入をよびかけ、世界でも類を見ない国民株主の「ハンギョレ」新聞が創刊される(6万人を超える株主が支え、社長、編集局長は選挙。およそ60万部を発行)。
 2000年には“すべての市民は記者である”を基本理念にインターネット新聞「オーマイニュース」が立ち上がる。
 80年代以降、韓国で繰り広げられた民主化運動、言論民主化闘争があった。ここをくぐりぬけ、社会をリードしてきた世代(「三八六世代」と呼んでいる、60年代生まれでいま30-40歳代)が、こうした言論を支えている。そこになにより「準備された市民」がいた。自由な言論を渇望する市民層だ。
 本書は彼の国、韓国の言論人(孫錫春・ハンギョレ論説委員/呉連鎬・オーマイニュース社長ら)の日本での講演、シンポジウムや論考を軸に、日本の新聞・放送ジャーナリズムの現場に照射させて考えさせる。この国の言論期は大丈夫か、支えるものを見失うな、と。