冬至。

mizunowa2012-12-22

フェイスブック自社ペイジ、より。


昨日朝、オカジョウの仕事場から撮影。昼から雨、深夜大雨大風。
今年の柑橘は裏年でウチの畑の7年選手の柚子(柑橘類のなかで最も成長が遅い、らしい)は1個しか実がつかず、虎の子の1個で柚子湯と相成り。


双葉町・井戸川町長「町民の皆様へ」
http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20121220.html/
全会一致の町長不信任決議を受けて。またもや、まともな人が、マス塵と原子力村に抹殺されやうとしてゐる。


そう云へば、マスコミを指して「マス塵」と表記するやうになったのはいつの頃からだらう。私自身、地方紙で2年、地方局で1年、記者として働いていた。20代はじめの、ごく短い期間ではあったが。屁理屈ばかりが先行した頭でっかちな若造の脳天を叩き割り、鍛えてくれたのは、歩きたおした取材の現場だった。少しくらいはまともな仕事しいになろうと必死に勉強したし、実力が伴わないなりに、やるべきことはやってきたつもりだ(あわせて、職務上、それなりに筆を汚してもいるのだが)。彼是あって僅か3年で足を洗ったが、駆け出しのころを地方とはいえマスコミの現場で鍛えてもらったことは、いまは出版に転職したとはいへ、仕事しいとしての誇りでもあった。……これほど露骨に、堕落しきったマス塵の実態が露呈するまでは。


9月に今年最後となる東下りの仕事があり、その途中で神戸の両親宅に立ち寄った際、記者時代の資料やらスクラップ帳やら全て処分してきた。読み返してみれば、今でもようやったと思える仕事もあれば、穴があったら入りたくなるやうな代物まで彼是とあり、自身の恥もまた記録ではないか、とも考えたのだが、この際、ひとまとめで処分してしまふことにした。こんなモノを後生大事にとっておくよりも、いつ廃業に追い込まれるかわからんけれども、いまの時局に鑑みて断じてツブれるわけにはいかない出版の仕事に賭けたほうが良いと考えた。本屋兼写真屋に徹するといふこと。いま、そして、これからのほうが大事だと。


3年前に「地方で書く・本を作る」といふテーマのシンポジウムで喋り手を安請け合いしてもたときに、主催者の案内文に「ジャーナリスト/みずのわ出版」と書かれてしまったことがある。内心、あっちゃ〜しもたな〜と思った。私自身かつて「ジャーナリスト」たらんと努力はしてきたつもりだが、胸を張ってそう名乗れるほどの仕事もしていないし、実態からしてそうではない。ましてや、マス塵企業に在籍して筆を汚してきた私が「ジャーナリスト」などと名乗ってはいけない。そこまで恥知らずにはなりたくない。


そんなこんなを思ひつつ、雑用と家事と狼藉殿下の御世話に明け暮れつつ、大雨大風の冬至の夜が更けていった。